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ブルービートル
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「Batman: The Brave and the Bold」より三代目ブルービートルことハイメたん!
背中のビートルを使いこなせればグリーンランタンより強いっぽい凄いヤツだよ!
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熊本県立美術館で開催されている「印象派の誕生 ミレー、ルネ、ルノワール、ゴッホ 天才達の系譜」展に行ってきたでござる。内容はというと、そこそこな感じでした。印象派は好きだけどバルビゾン派はあまり好きじゃないんよね。

個人的には常設展示の「今西コレクション」の方が良かったと思います。「今西コレクション」はちょくちょく開催されているイメージがあるのか閑古鳥が鳴いていましたが、その分ゆっくり鑑賞できました。浮世絵、工芸、人形など展示品は多岐にわたり、故、今西菊松氏の審美眼のすごさというものを感じさせてくれます。

「なんでも鑑定団」を観てると美術品の蒐集家は結構ニセモノをつかまされたりして美術商・古物商に鴨られてるケースが多いけど、今西コレクションの中にニセモノはどれくらいあったのか学生の頃からずっと気になっています。現代工芸家からは直接作品を買ってたようなので先見性も凄まじかったんでしょうけど、今の世の中に確固たる審美眼を持ってパトロンのような行動ができる人ってどれくらいいるのでしょうね。
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加藤清正、虎退治
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TINAMIの仕事受注用のサンプルとして描いたラフにペン入れしたもの。オリジナルの分類に入れていますが、「どこかのSD戦国武将のソーシャルゲーム」調に描いた加藤清正、という事になります。どこのゲームかは知らん(仕事を取れなかったから)。着色まではいいや、ということで線画のみ。
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7月13日の雑記の続き

司法書士から封書がきて一ヶ月以上が経過したわけで(7月13日の雑記参照の事)。封書には手続きはこちらでするので印鑑証明と連絡先を書いた紙をいれて返信してくれとありましたが、常識的に考えて「はい、そうですか」と印鑑証明を渡す馬鹿はいないわな。一般的には実印とセットじゃないと効力が無い事が多いとはいえ実印の偽造なんてスキャナがあれば寸分たがわぬものが作れるし、実際に相手の言い分通りに印鑑証明が使われるとも限らないし。

とりあえず携帯の番号のみ書いた紙を入れて返信したのですが、相手方に着いたであろう14日の23時50分に非通知の電話がかかってきて名乗った直後に切られたという事がありまして。その時点で胡散臭い事この上ないというものですが、司法書士からのちゃんとした連絡は一切なし。携帯番号を教えたのは、詐欺ではなかった場合を考えて納得のいく手続きを求めたかったのと、話し合いのテーブルが設けられるなら前の父親の親族から前の父親の末路を聞いておきたかったからなのですが。胡散臭いと思った読みが正解かなぁ。送られてきた封書や書類を保管し続けて様子見かな。
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和田慎二先生が亡くなっていたでござる。七夕くらいにTwitterでソースの無いままその話が流れていて、「はいはい、どうせいつものデマッターデマッター」と自己完結しておりました。昨日、ふと思い出してグーグルで検索してみたところ、Twitterでの一報の後ちゃんとしたニュースでも報じられていたという…。2011年7月5日、虚血性心疾患のため死去。謹んでご冥福をお祈りいたします。
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【こんな長文誰も読まんがな】

相続についての封書が司法書士から来たでござる。…と、いっても土地など価値のあるものは既に指名された人が相続済みで、家屋については指定されていなかったので相続人が何人も居て、自分もその一人だという話。前の父親(実の父親)の母親の父親が被相続人なんだけど、祖祖父の建てた家で恐ろしく古く資産価値も大したことはないらしい上に、立地が岐阜のド田舎、祖祖父当人は私が生まれる前に亡くなってるし、その一族にも会った事がないという有様。なのに何故私にその封書が来たかというと、前の父親(実の父親)が平成18年に亡くなっていたから。

前父は元々は京都の人間で、親はある呉服問屋の地位のある社員。前父自身も同じ会社の社員で安定した立場にある人でした。私が5歳の頃に妻(私の母)の両親が病気になったのを切っ掛けに妻(私の母)に言いくるめられる形で脱サラして京都から熊本に移住。個人経営の呉服屋を開始するも夫婦仲がこじれるわ、事業は上手くいかないわで私が小学6年生の時に離婚。その後、前父は数年間熊本に留まり、私が中学2年生か3年生の頃に会ったのを最後に京都に帰ったらしいという噂話程度の状況しかわからない状態でありました。母親が前父と母親両方と懇意にしていた人から聞いたという情報に「前父は京都で再婚したらしい。私にとっての異母弟か異母妹ができているらしい。」というものがあったのだけど、封書に入っていた家系図にそれの記載は無し。


小学生当時は母親に吹き込まれるまま「前父が全て悪い」と思い込んでいましたが年齢を重ねると見えてくる真実がいくつもあるわけで、当時を思い起こすと前父の追い詰められようというのはそれはもう凄まじいものでした。状況を整理すると

・妻(私の母)に言いくるめられて安定した身分を捨て脱サラ。京都から熊本に移住。

・妻の実家でマスオさん状態で個人経営の呉服屋(しかも店舗を構えない、普通の民家で)をはじめる。

・子供の保護者が集まるようなバドミントンやバスケットのサークルであったり消防団であったり積極的に顔を出すようになるが、妻(私の母)や姑、母親に言いくるめられた私はそれを「遊んでいる」とみなし猛烈に非難。その手のサークルに顔を出す事を禁止される。これは子供の頃は理解できなかったけど、元々が京都の人間で熊本に人脈というものが全く無かった前父にしてみれば、子供をダシにして比較的裕福で時間も余っているような保護者が集まるサークルに出入りして顧客を開拓するのは極めて有効的な手段だったろうし、そこで信頼を獲得するにしても熊本ローカルの社会性や話題といった事情を理解するまで時間を要しただろうし、即座に結果が出るようなものでもなかったはず。ちなみに妻(私の母)の言い分は「そんな事をしなくても、良いモノを売っていけば口コミで評判は広がる!」という夢見る夢子さん理論。

・で、妻(私の母)は前父の仕事にも猛烈にクチを出す。その内容はというと、客に対して、「この着物は良いものですよ、地味だけど若いうちだけでなく五年後十年後も着る事ができますし、親から子の代へも渡す事もできますよ」といったもの。文面だけをみると善意にあふれる立派な言葉に聞こえるけども、客が何を求めてくるかは人それぞれなわけで、例えばケバい化粧を好みケバい着物を好む客にそうセールストークしても効果があるとは思えないし、若い、今その時のみ着る事ができるような着物を求めてやってくる客だっているのです。セールストークに必要なのは、客の求めているものの空気を読み、それを薦める事であって、店(私の母)の理想とする価値観を押し付けられて感謝する客が果たして何パーセントくらい居たでしょうね、という話。前父は妻(私の母)に対して「頼むから商売に口出ししないでくれ」と懇願するも、妻(私の母)の方が弁が立つ上にマスオさん的立場で力もなく、子供の私も母親に言いくるめられるまま敵に回るわで、手足がもがれた上に四面楚歌の状況。これで妻(私の母)の望むような結果を出せといわれても不可能であったでしょう。洒落にならない難易度だったと思います。

・前父の心が折れるのも当然の事であったろうと思います。離婚前の数年間はパチンコ屋に入り浸り自室に閉じこもってファミコンばかりしている前父の姿しか見ていません。でも、そこまで追い詰めたのは妻(私の母)であり、姑であり、それに加担した私なわけで、何処にも居場所がなくなれば必然的にそうなるわな。

家庭裁判所で泥沼を披露しつつ彼らは離婚するわけですが、家庭裁判所の判決は母が前父に手切れ金を支払う事で決着したと聞いています。家にあった反物も前父の手に。これも私の母は「親戚や周囲の人間が利害関係から自分に不利に証言した為」と言い、小学生の私は素直にそれを信じていましたが、今になっては離婚の原因の7~8割は母親の方の世間ズレの凄まじさと根拠が何処にあるのかサッパリわからない不動の「夢見る夢子な」価値観にあったと理解できます。

何故なら、自分も母親の世間知らずの凄まじさと根拠が何処にあるのかサッパリわからない不動の価値観に、目の前が真っ暗になるような状況を幾度も幾度も味合わされることになったから。例を挙げると子供の勤めている会社にやってきて社長と給料交渉はしでかすわ、その金銭感覚は年収一千万が当たり前だと思ってるわ、高校時代の恩師が退職後に美術教室だか専門学校を立ち上げるというので声をかけてくださった時にも、「立ち上げでお金に余裕はないけれど」、という恩師に対し「私は美術を通じて人生における大事なものを学びましたし、それを広める為だったら最低限生活できる額さえ貰えればいいですよ。」と返答したのが気に食わなかったのかいつの間にか間に入ってきて恩師と給料交渉しくさった結果、恩師からは「君がそんなに高給取りだとは知らなかった。そんな額は出せない。子供は親を大事にすべきだからあきらめる。」といって去られた時の絶望といったらもう。

その過干渉は家族のみならず赤の他人にも及んでいて、隣家の止めてあった車にどこぞのバカガキが二人乗りの自転車で蛇行しつつぶつかって車を損傷させた時にも、頼まれたわけでもないのに間に割って入って開き直ってヘラヘラしているバカガキどもにのたもうた台詞が「弁償しなくていいから自分の非を認め謝罪しなさいといってるの!」。これも字面だけ見れば子供の教育を考えた立派なお言葉ではあるんだけど、弁償について言及できる資格があるのは車をへこまされた隣人のみで、仲裁を一任されたわけでもなく勝手に首をつっこんでいる私の母親が発していい台詞ではありません。世の中の常識的な反応を考えれば隣家は私の母親に感謝するよりも「なんで勝手にそんな事決めちゃってんの?」とドン引きした事でしょう。

ちなみに母親は私が高校一年生の時に再婚。今の父親の近所に住む兄嫁や娘達からは疎んじられていますが、それは一族の新参者だからだけではなく、彼女の価値観の押し付けがましさにあると傍から見て思うのですが、当人は「私はこんなにも善意に溢れて仲良くなろうとしているのにあの人たちはわかってくれない!」と本気で思っているご様子。その世間知らずの行動に対し、どんなに苦言を呈しても、忠告しても、自分の信じたい事以外は耳に入らない人間なので全く効果なし。人には人それぞれの価値観や踏み入ってはならない領域(人生設計etc)というものがあり、その言葉を発し行動する当人にとってのみは善意だと思っていても、それを望まない他人からてしてみればそれは悪意とかわりがないという真理を未だにご理解にならないという。


で、元の話に戻るのですが小学生の時の私は前父の置かれていた状況が全く判っていませんでした。自分も散々やられて母の人間性を理解できて初めて前父の追い詰められようを理解できたという。ただ、前父も世間知らずな所があった事は否定できず、離婚前のパチンコ屋に入り浸っていた頃によくない知り合いができていたようで、中学生の頃に前父と食事にいった際に前父の知り合いだと紹介されたチンピラ風の男に「君、芸能界に興味ない?入らない?」と言われて(もちろん胡散臭いにも程があるので断りましたが)中学生という年齢ながらも前父が落ちるとこまで落ちかかってるというのは悟れたし、その事も結局彼が死ぬまで顔を合わせることはおろか連絡を取り合うことすらなかった一つの理由であったのですが。

前父は身長178センチと私の親の世代にしては高身長、見た目もそれなりに良く、呉服成金の小金持ちの息子で、彼が結婚前の若者時代を謳歌していた頃はカラー写真は珍しかったそうなのに海やスキーといったレジャーを楽しんでる姿がカラー写真で残っていたし、運動神経もあり、ファミコンソフトの好みから将棋やマージャンとったモノも一通りこなし、釣りやゴルフやプラモデル制作などもやっていた事から多趣味だった事がうかがえます。で、サークルに出入りしていた社交性からいって、本来の彼の姿は営業マンとしてはかなり高スペックだったのではなかろうかと今になっては思います。(小学生の頃の記憶なので彼が遊びに秀でただけのダメ人間だった可能性もゼロではないのですが。)彼は結婚する女さえ間違えなければ違う人生があったのではなかろうかとつくづく思います。違う女と結婚していたら私はこの世にいないけどさ。

…と、いった事から前父方の祖祖父の遺産の話だとか言われても、その権利を主張する資格は私には無いな、というお話。ただ、前父がどんな場所でどんな死に方をし、どこに眠っているのかは気になります。それと私のは母は自分がしでかし続けている事の罪の重さに気付く日がくるでしょうか。きっと気付く日が来たとしてもプライドが異様に高いので認めることはあるまいとは思うけど。
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姐さん
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↑某所用のサンプル用に描いたイラスト。原画は人物の部分のみで640×480ピクセルだったのですが二値ペンで線を入れたのでジャギが目立つので50%に縮小。