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2009年3月23日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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AMAKOMA-YA
シムーンを第1話から最終回まで一気に観ましたよ。なんだかんだでタイタニアも途中で挫折してしまったし、今年に入ってからまともに観た最初のアニメでございます。ちなみに2006年制作のアニメだそうです。

この物語に登場する人類は生まれてくる時は全て女性であり、17歳の誕生日を迎えると泉に赴き儀式を受ける事によって男女の性を選択し、大人になるという設定。萩尾望都の漫画に似たような種族が登場する作品があったなー、と思いつつ観ていたのですが、これがかなり面白いアニメでございました。

主人公達シムーン・シヴュラは、性の選択をする前の少女達で構成された巫女の中でも飛行艇シムーンに乗ることが許されるエリートの事。本来はシムーンの描く軌跡で神に捧げる模様を空に描き儀式を執り行うのが役目であるものの、隣接する国々との戦争でシムーンの戦闘能力を頼られ戦場に駆り出されることになったという背景。

ストーリーは、(序盤にそれらしい話は中途半端にあるものの)戦争の凄惨さを訴える事よりも、部隊(コール・テンペスト)内の感情の入り乱れた人間模様を描くことの方に比重が置かれています。彼女達はシムーンによって相当な数の敵国兵士を殺しているはずなのに罪悪感が希薄に見えるのは題目があるからなのでしょうが、そのあたりが妙な感じといえば妙な感じではあります。(和平という名の敗戦の後、母艦に乗り込んできている敵国兵士を見て言及する場面はありますが。)

ただし、それ以外の心理描写は感情移入に足るものでした。ラストの性の選択をし大人になった者たちの、ハッピーエンドばかりではない突き放された現実の中、前向きに進もうとする描写も素晴らしいものでした。さらには永遠の少女を選んだ者達に「大人になる事を選択しなかった事で迎えるつらい未来(夢を追い続けるにしても時間制限がありますよ、という含み)」が示唆されているあたり、製作者の思い描くところのテーマが感じられる良い閉め方でございました。時折崩れている作画と覚え難い名前や用語で損している向きはありますが、個人的にはA評価をあげたいアニメです。
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↑フロエ。少女時代と大人になってからのギャップが一番激しく驚くこと間違いなし。最終回では地に足をつけて未来を考えることができる人間になったのに、手元に届いたのは・・・と、主人公達とは別の意味で物語の持つテーマを象徴しているような人。端役と思っていたので最終回は二重の意味でビックリ。

2009年3月18日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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AMAKOMA-YA
ラポートから大都社に引き継がれて発行されていたファンロードが再び休刊するらしいですね。かつてラポートが倒産したと聞いた時には名残惜しいと思ったものの、考えてみれば雑誌の内容や形態が既に時代に合わないのは否定できないのかもしれません。

かつてファンロードは創作活動に勤しむ人たちの集いの場にして腕試しの場、あるいは宣伝や共通の認識を作り出す場でした。でもインターネットが普及してからは自作のイラストを不特定多数の人に見て欲しければウェブサイトを作れば済むようになり、腕試しがしたければpixivなどイラスト投稿サイトで反応を窺えばよくなり、討論・ネタ会話についても2chやmixiのコミュニティが代用してくれるようになりました。しかも、紙媒体のもの全てに言えることですが、入稿→出版まで時差ができるのに対し、インターネットにはそれがありません。それらを考えると次の復活は無いか、あったとしても短い期間で再び休刊に追い込まれそうな気がします。


ところで、最近ではアニメ誌やラノベ誌といったオタク向けの本が多数出版されているらしいのですが、購買者の年齢層はどういったものなのでしょうね。

私とファンロードの出会いは小学生の頃で、本屋で表紙が気になって手にとって見てみたら島村春奈のパロディ漫画「聖闘士ダ星矢」が連載されていて、当時は車田正美にはまっていた事もあって興味を強く惹かれたけど、何だか表紙や紙面が濃すぎてレジに持っていくのが恥ずかしくて中学生になるまで買えませんでした。で、中~高校時代の間で4年くらい購読していたかな。

ちなみに自分にとって中学生時代が一番濃いオタクだった時代で、他にもニュータイプやドラゴンマガジンも購読していました。(高校生になると買うのを止めてしまいましたが。)

ラノベに関しては小学校5年生の頃にイラストにつられて読み始め、中学生の頃が一番はまっていた時期で、高校に入ると読む本の中でラノベの比重が徐々に減っていき、高校を卒業すると本屋のラノベコーナーの前に立つのが気恥ずかしいと感じるようになり、それでも気になる作家やタイトルだけは細々と買い続けたけども、二十歳くらいで完全に卒業、といった流れでした。

漫画やアニメ・ラノベといった文化は精神年齢による感受性や読解力によって受け取り方が大きく異なるものだと思います。自分の経験に照らし合わせてみると、小学生の頃に好きだったラノベを高校生になって読み返してみた時に、いかにも台本に毛が生えたような文章で読み物として堪えないと感じて「何故こんなのが好きだったのかなー」と思わざるを得なかったり、逆に小学生の頃に菊地秀行や夢枕獏の小説を買ってきて読んでみたけど、暴力描写や性描写がピンとこなくてワケがわからないと感じていたものが高校生になると普通に読めて面白いと感じるようになったり。

アニメ誌やラノベ誌、イラスト投稿誌といったものは(仕事を貰って献本で送られてきたもの以外は)かれこれ10年近く買ったことはおろか手に取った事も無いような状態なので正確にはわかりませんが、氾濫するということは、もしかするとゲームと同じでそれらの雑誌も昔に比べて対象となる年齢が引き上がっているのかもしれません。冒頭でファンロードについて述べましたが、昔から紙面が全く変化していなかったのか、それとも時代に合わせて変化を続けていたのか、それすら知らないので休刊について感想を述べるような立場でも無いかもしれませんけど。

2009年3月2日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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AMAKOMA-YA
今日の19時~20時に放送されていた「フェアウェイの華となれ~古閑美保 父とつかんだ賞金女王」を観たのですが、正直な所、なんと感想を述べていいのかわからない番組でございました。

その父親は「巨人の星」の熱烈なファンで、娘を将来プロ野球選手に育てるべく小さな頃より身体を鍛えさせていたそうです。が、当時は高校野球やプロ野球は女性に門戸を開放しておらずゴルフに転向。ゴルフ教室に通わせつつも、平行してゴルフについて門外漢であるにも関わらず思いつきの特訓を娘に課すなどしていたそうで・・・。亀田親父や横峯パパよりは人格的に柔らかそうではあるものの根っこの部分は似たり寄ったりなのは疑いようもなく、結果的に古閑美保はジュニア時代に華々しい結果を残し、ついには2008年の賞金女王にまで上り詰めたのだから父親当人にとってはさぞや幸せな人生でしょう。

でも古閑美保としては違う本音、仮に子供の頃は半ば洗脳されていて見えていなくても、年を取り社会に出て見えるようになって感じるに到った心の内が色々ありそうな、むしろそっちを知りたいような気がしました。(亀田三兄弟にはそういった部分は未だになさそうに思うのだけど、古閑美保にはありそうな気がしました。)

それにしても、両親が古閑美保にばかり目がいっていた為に相手にされていなかった妹さんが不憫でなりません。父親が四国四十八箇所巡りを行った際も己と古閑美保についての祈願はしたものの、奥さんともども名前すら出てこなかったし、インタビューでも事あるごとに「美保、美保~」って、2人の娘に対しウェイトが均等ではないのは誰の目にも明らかで・・・。そりゃグレるわ。

最後まで番組を観たわけではなく、残り15分ほどで居た堪れなくなってチャンネルを変えてしまったのですが、上記のような部分を無理やり感動仕立てにせずに視聴者の受け取り様にまかせる淡々としたつくりは最近の民放の番組にしては公平で評価できるものかもしれません。