Post
Entries
ラポートから大都社に引き継がれて発行されていたファンロードが再び休刊するらしいですね。かつてラポートが倒産したと聞いた時には名残惜しいと思ったものの、考えてみれば雑誌の内容や形態が既に時代に合わないのは否定できないのかもしれません。
かつてファンロードは創作活動に勤しむ人たちの集いの場にして腕試しの場、あるいは宣伝や共通の認識を作り出す場でした。でもインターネットが普及してからは自作のイラストを不特定多数の人に見て欲しければウェブサイトを作れば済むようになり、腕試しがしたければpixivなどイラスト投稿サイトで反応を窺えばよくなり、討論・ネタ会話についても2chやmixiのコミュニティが代用してくれるようになりました。しかも、紙媒体のもの全てに言えることですが、入稿→出版まで時差ができるのに対し、インターネットにはそれがありません。それらを考えると次の復活は無いか、あったとしても短い期間で再び休刊に追い込まれそうな気がします。
ところで、最近ではアニメ誌やラノベ誌といったオタク向けの本が多数出版されているらしいのですが、購買者の年齢層はどういったものなのでしょうね。
私とファンロードの出会いは小学生の頃で、本屋で表紙が気になって手にとって見てみたら島村春奈のパロディ漫画「聖闘士ダ星矢」が連載されていて、当時は車田正美にはまっていた事もあって興味を強く惹かれたけど、何だか表紙や紙面が濃すぎてレジに持っていくのが恥ずかしくて中学生になるまで買えませんでした。で、中~高校時代の間で4年くらい購読していたかな。
ちなみに自分にとって中学生時代が一番濃いオタクだった時代で、他にもニュータイプやドラゴンマガジンも購読していました。(高校生になると買うのを止めてしまいましたが。)
ラノベに関しては小学校5年生の頃にイラストにつられて読み始め、中学生の頃が一番はまっていた時期で、高校に入ると読む本の中でラノベの比重が徐々に減っていき、高校を卒業すると本屋のラノベコーナーの前に立つのが気恥ずかしいと感じるようになり、それでも気になる作家やタイトルだけは細々と買い続けたけども、二十歳くらいで完全に卒業、といった流れでした。
漫画やアニメ・ラノベといった文化は精神年齢による感受性や読解力によって受け取り方が大きく異なるものだと思います。自分の経験に照らし合わせてみると、小学生の頃に好きだったラノベを高校生になって読み返してみた時に、いかにも台本に毛が生えたような文章で読み物として堪えないと感じて「何故こんなのが好きだったのかなー」と思わざるを得なかったり、逆に小学生の頃に菊地秀行や夢枕獏の小説を買ってきて読んでみたけど、暴力描写や性描写がピンとこなくてワケがわからないと感じていたものが高校生になると普通に読めて面白いと感じるようになったり。
アニメ誌やラノベ誌、イラスト投稿誌といったものは(仕事を貰って献本で送られてきたもの以外は)かれこれ10年近く買ったことはおろか手に取った事も無いような状態なので正確にはわかりませんが、氾濫するということは、もしかするとゲームと同じでそれらの雑誌も昔に比べて対象となる年齢が引き上がっているのかもしれません。冒頭でファンロードについて述べましたが、昔から紙面が全く変化していなかったのか、それとも時代に合わせて変化を続けていたのか、それすら知らないので休刊について感想を述べるような立場でも無いかもしれませんけど。
かつてファンロードは創作活動に勤しむ人たちの集いの場にして腕試しの場、あるいは宣伝や共通の認識を作り出す場でした。でもインターネットが普及してからは自作のイラストを不特定多数の人に見て欲しければウェブサイトを作れば済むようになり、腕試しがしたければpixivなどイラスト投稿サイトで反応を窺えばよくなり、討論・ネタ会話についても2chやmixiのコミュニティが代用してくれるようになりました。しかも、紙媒体のもの全てに言えることですが、入稿→出版まで時差ができるのに対し、インターネットにはそれがありません。それらを考えると次の復活は無いか、あったとしても短い期間で再び休刊に追い込まれそうな気がします。
ところで、最近ではアニメ誌やラノベ誌といったオタク向けの本が多数出版されているらしいのですが、購買者の年齢層はどういったものなのでしょうね。
私とファンロードの出会いは小学生の頃で、本屋で表紙が気になって手にとって見てみたら島村春奈のパロディ漫画「聖闘士ダ星矢」が連載されていて、当時は車田正美にはまっていた事もあって興味を強く惹かれたけど、何だか表紙や紙面が濃すぎてレジに持っていくのが恥ずかしくて中学生になるまで買えませんでした。で、中~高校時代の間で4年くらい購読していたかな。
ちなみに自分にとって中学生時代が一番濃いオタクだった時代で、他にもニュータイプやドラゴンマガジンも購読していました。(高校生になると買うのを止めてしまいましたが。)
ラノベに関しては小学校5年生の頃にイラストにつられて読み始め、中学生の頃が一番はまっていた時期で、高校に入ると読む本の中でラノベの比重が徐々に減っていき、高校を卒業すると本屋のラノベコーナーの前に立つのが気恥ずかしいと感じるようになり、それでも気になる作家やタイトルだけは細々と買い続けたけども、二十歳くらいで完全に卒業、といった流れでした。
漫画やアニメ・ラノベといった文化は精神年齢による感受性や読解力によって受け取り方が大きく異なるものだと思います。自分の経験に照らし合わせてみると、小学生の頃に好きだったラノベを高校生になって読み返してみた時に、いかにも台本に毛が生えたような文章で読み物として堪えないと感じて「何故こんなのが好きだったのかなー」と思わざるを得なかったり、逆に小学生の頃に菊地秀行や夢枕獏の小説を買ってきて読んでみたけど、暴力描写や性描写がピンとこなくてワケがわからないと感じていたものが高校生になると普通に読めて面白いと感じるようになったり。
アニメ誌やラノベ誌、イラスト投稿誌といったものは(仕事を貰って献本で送られてきたもの以外は)かれこれ10年近く買ったことはおろか手に取った事も無いような状態なので正確にはわかりませんが、氾濫するということは、もしかするとゲームと同じでそれらの雑誌も昔に比べて対象となる年齢が引き上がっているのかもしれません。冒頭でファンロードについて述べましたが、昔から紙面が全く変化していなかったのか、それとも時代に合わせて変化を続けていたのか、それすら知らないので休刊について感想を述べるような立場でも無いかもしれませんけど。
今日の19時~20時に放送されていた「フェアウェイの華となれ~古閑美保 父とつかんだ賞金女王」を観たのですが、正直な所、なんと感想を述べていいのかわからない番組でございました。
その父親は「巨人の星」の熱烈なファンで、娘を将来プロ野球選手に育てるべく小さな頃より身体を鍛えさせていたそうです。が、当時は高校野球やプロ野球は女性に門戸を開放しておらずゴルフに転向。ゴルフ教室に通わせつつも、平行してゴルフについて門外漢であるにも関わらず思いつきの特訓を娘に課すなどしていたそうで・・・。亀田親父や横峯パパよりは人格的に柔らかそうではあるものの根っこの部分は似たり寄ったりなのは疑いようもなく、結果的に古閑美保はジュニア時代に華々しい結果を残し、ついには2008年の賞金女王にまで上り詰めたのだから父親当人にとってはさぞや幸せな人生でしょう。
でも古閑美保としては違う本音、仮に子供の頃は半ば洗脳されていて見えていなくても、年を取り社会に出て見えるようになって感じるに到った心の内が色々ありそうな、むしろそっちを知りたいような気がしました。(亀田三兄弟にはそういった部分は未だになさそうに思うのだけど、古閑美保にはありそうな気がしました。)
それにしても、両親が古閑美保にばかり目がいっていた為に相手にされていなかった妹さんが不憫でなりません。父親が四国四十八箇所巡りを行った際も己と古閑美保についての祈願はしたものの、奥さんともども名前すら出てこなかったし、インタビューでも事あるごとに「美保、美保~」って、2人の娘に対しウェイトが均等ではないのは誰の目にも明らかで・・・。そりゃグレるわ。
最後まで番組を観たわけではなく、残り15分ほどで居た堪れなくなってチャンネルを変えてしまったのですが、上記のような部分を無理やり感動仕立てにせずに視聴者の受け取り様にまかせる淡々としたつくりは最近の民放の番組にしては公平で評価できるものかもしれません。
その父親は「巨人の星」の熱烈なファンで、娘を将来プロ野球選手に育てるべく小さな頃より身体を鍛えさせていたそうです。が、当時は高校野球やプロ野球は女性に門戸を開放しておらずゴルフに転向。ゴルフ教室に通わせつつも、平行してゴルフについて門外漢であるにも関わらず思いつきの特訓を娘に課すなどしていたそうで・・・。亀田親父や横峯パパよりは人格的に柔らかそうではあるものの根っこの部分は似たり寄ったりなのは疑いようもなく、結果的に古閑美保はジュニア時代に華々しい結果を残し、ついには2008年の賞金女王にまで上り詰めたのだから父親当人にとってはさぞや幸せな人生でしょう。
でも古閑美保としては違う本音、仮に子供の頃は半ば洗脳されていて見えていなくても、年を取り社会に出て見えるようになって感じるに到った心の内が色々ありそうな、むしろそっちを知りたいような気がしました。(亀田三兄弟にはそういった部分は未だになさそうに思うのだけど、古閑美保にはありそうな気がしました。)
それにしても、両親が古閑美保にばかり目がいっていた為に相手にされていなかった妹さんが不憫でなりません。父親が四国四十八箇所巡りを行った際も己と古閑美保についての祈願はしたものの、奥さんともども名前すら出てこなかったし、インタビューでも事あるごとに「美保、美保~」って、2人の娘に対しウェイトが均等ではないのは誰の目にも明らかで・・・。そりゃグレるわ。
最後まで番組を観たわけではなく、残り15分ほどで居た堪れなくなってチャンネルを変えてしまったのですが、上記のような部分を無理やり感動仕立てにせずに視聴者の受け取り様にまかせる淡々としたつくりは最近の民放の番組にしては公平で評価できるものかもしれません。
私にとって今年は例年になくアニメをよく観ました。本音を言うと創作意欲の糧が欲しくて観てたわけですが、HPの更新頻度を見ての通り、ほとんど結びついてはいないという・・・。まぁ、それはさておき今年観たアニメの感想をば。
【図書館戦争】A-
発行部数がかなりあるライトノベルをアニメ化した作品。ネット上では「スイーツ向けアニメ」と酷評する向きが強かったのですが、自分にとっては面白いアニメでした。
舞台設定は確かに変で、「メディア良化法」のような思想や表現を統制する動きは現実社会においても発生しうるものではあるのですが、それが図書館を舞台に(ゴム弾を使用してるとはいえ)銃撃戦が発生するに到る設定は無茶が過ぎる気も。現実の日本の現代社会をベースにしているだけに第1話を観ながら、「図書館や本屋に並んだものを差し押さえるよりも、出版前の段階で規制した方が確実ではないか」・「本という形態を尊重する必然性は余り感じられず、思想や表現の自由を守るという信条はともかく、本一冊が人の命を懸けるに値するとは思えない」などなど、心の中でツッコミをいれずにはいられませんでした。
その辺りで拒絶を感じた視聴者も多かったようですが、それを受け入れてしまうと良いところ、即ち作り手の空想力といったものが見えてきます。
例えば、第5話「両親攪乱作戦」で主人公である笠原郁の両親が登場します。その外見の特徴として、父親のほうが母親よりも若干背が低くく設定されています。笠原郁は図書防衛隊に就職するにあたって両親の同意を得られず、彼らに対して嘘をついており軋轢がある事が語られます。物語の序盤において、笠原郁は父親と同じく男性としては背が低い堂上教官に反発しつつも認められたいという態度をとります。これは無意識のうちに堂上教官と父親を重ね合わせており、「認められたい」という心を重ね合わせているのです。そう考えると笠原郁の行動も涙も自然な説得力を持ちます。また、これは一般論に過ぎないのですが、女性は伴侶に父親に似た傾向のある人を選びがちであるといいます。手塚慧に「図書防衛隊を目指すきっかけとなった王子様」=堂上教官と知らされた後で距離が縮まっていくのにも、あながち無関係では無いでしょう。
また、物語の終盤で笠原郁は堂上教官に対して、「私、王子さまから卒業します!」と宣言します。原作は読んだ事が無いので知りませんが、アニメの「図書館戦争」は1クールという少ない話数の為かあくまで笠原郁を中心に描かれています。この会話は二人の関係が一歩前に進んだ事をあらわすものですが、この時の堂上教官の表情によって、彼もまた笠原郁の事を憎からず想っており、恥ずかしい表現をするならば女性の心が解らず恋に怯える1人の男性である事を読み取る事ができるのです。
このように、アニメにありがちな会話のやりとりのみでストーリーを語るのではなく、「絵に意味を持たせる」というクオリティにおいては映画「攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL」と同じくらい良かったと思います。終盤におけるカモミールの扱い方も素晴らしく、初めてOPを観た時に感じた「どうして花畑で空を飛んでるのだろう」という疑問も感嘆に結びつくような出来でした。堂上教官が失認&遂行機能障害になるあたりは物語の構成上、最後に堂上教官が酷い目にあう山場がくるんだろうなと予想出来た上に御都合主義っぽく感じたりもしましたが、大団円への布石としてはこの上ないものでした。
「メディア良化法」をはじめとして図書館隊や良化特務機関などミリタリー色の強い変な舞台設定を受け入れられるか否かと、観る側の読解力で人を選ぶ作品ではありますが、もっと評価されてもいいアニメだと思います。
【二十面相の娘】C
番組が始まった5月ごろは期待も大きく雑記に取り上げたりもしたのですが、結局のところ第6話において二十面相が仲間を見殺しにするに到った理由というのが釈然としないまま最後まで気持ちをひっぱって、後の展開を素直に楽しめませんでした。チコを助ける時には神出鬼没っぷりと不死身っぷりを見せつけるくせにねー・・・。最終回でチコが墓前で死んだ仲間に語りかける場面がありましたが、感動を呼ぶというよりも複雑な視聴者心理がさらに複雑に。
物語を通して作り手がやろうとしている事は解らなくはなかったのですが全体的に抑揚が乏しく、押さえるべき部分がすっぽ抜けたり指先まで力が入ってなかったりで、素材としては非常に面白そうではあるものの色々と勿体無いアニメでした。
例えば、トラの腕・白髪鬼の身体・教授の身体といったギミックにしても派手めに描写するとか、声優さんの演技をオーバーに求めて敵役のキャラクターを強く印象付けるなどしてくれれば良かったのですが、全体的に地味で物語を淡々と進行させることにばかり腐心していたかのように見受けられました。他にも、第6話以降におけるチコよりも死んだ仲間との付き合いが長かったはずのケンの二十面相やチコに対する心理描写も、一つの山場足りえたのに話が膨らむことなくアッサリと処理されちゃったし。
一方で少女探偵団において、特異な経験をし特異な技能を得たチコに対して小糸さんとトメさんは徹底して普通の人として描かれていたり、バランス感覚が光る部分もありました。最終回における、今後の展開を予感させる小林少年との出会いも良い感じでしたがー・・・総合してみるとイマイチなアニメと評価せざるを得ない気が。
【BLASSREITER】C+
ラスト1、2話くらいまでは本当に面白いアニメでございました。暗く救いが無いストーリーも先の展開を期待させてくれるものであったのですが・・・。確かに「俺たちのなかで1人でも生き残ったら俺たちの勝ちだ!」など、ラストを示唆する台詞も途中にあったりもしたのですがー・・・。そのままヒネリも、大した盛り上がりもなく終わってしまうとは思いませんでした。
自分にとって最低の部類に入る「THE ビッグ・オー」の2期の終盤の展開への落胆ほどではありませんでしたし、そのものが斜め上というわけでもありませんでしたが、予定調和的な地味さで限りなく落第点に近い及第点。今まで面白い面白いと観ていた自分って一体・・・と「THE ビッグ・オー」の時に抱いた感情を思い出さずにいられなかったので引き合いに出してみました。
【RD 潜脳調査室】B+
突き抜けた面白さは無いものの、全話を通して一定の面白さを保ち続けたアニメでございました。(「あなたにリアルドライブ!」は正直なところ必要無いと思ったけども。)
最終回を観ると波留さんと久島の関係は友情を通り越してプラトニックなホモ・セクシャルっぽい感じがするし、それより前の話のミナモのお婆さんなどの態度から若い頃に彼らの身近にいた女性は察してる気がしないでもないし、ラストのあれはミナモにとって幸せなのだろうかと思わずにいられなかったけども、良い作品でございました。
【仮面のメイドガイ】D
以前に漫画レビュー系のサイトで原作が褒められていたのを記憶していたので観ていましたが、作画はキレイで動きも良いものの、肝心の話がイマイチ面白くありませんでした。漫画やアニメというと、独特の「お約束」や「ありがちな展開」というものがあると思うのですが、ほとんどがその範疇で観ていて新鮮味が全く無いと言いますか・・・。オタクと呼ばれる人達に同じ設定で話をつくれと御題を出したら高確率で似た話をつくりそうな、そんな印象のアニメでございました。
小学生の頃に観ていたら手放しで賞賛していたような気はします。
【墓場鬼太郎】A
私は小学生の頃に「ゲゲゲの鬼太郎」が流行っていた世代で、当時は講談社から発売されていた復刻版の単行本をはじめとして、古本屋を駆け回って色んな出版社の「ゲゲゲの鬼太郎」を集めていました。(中学生の頃に全部古本屋送りにしてしまったけど。)思い出補正も多分にあるでしょうが、面白うございました。
OPの主題歌である「モノノケダンス」もアニメーションもあわせて最高でございました。
【スカルマン】B+
2007年の作品らしいのですが、今年観たので感想をば。「スカルマンの正体は誰なのか?」・「その目的は?」・「神楽辰男とは?」・「偽のスカルマンの存在」・「スカルマンの中身の交代劇」など、ストーリー展開そのものにエンターテイメントを感じる事が出来た、数少ない作品のひとつでございました。「平成版サイボーグ009」と関連を臭わせる登場人物も心憎く、救いようが無い結末も最高でございました。具体的な死の描写があるのは探偵の爺さんのみなれど、他の生き残った彼らが、生還を待ちわびているはずの外見をしたモノによってもたらされるであろう末路を考えると、もう!
ただ欲を言うならば終盤の数話はスタッフが息切れした感があって描写的に物足りない部分もありましたが(サイボーグ部隊とスカルマン一党との戦いや、テントの中の御子神隼人と間宮霧子の島村ジョーに似た子供が生まれる切っ掛けとなった行為の示唆とか)、もっと評価されてもいいアニメだと思います。
【BACCANO!】B
これも2007年のアニメらしいですね。感想は2008年4月7日の雑記を参照のこと。本編は面白かったものの、後から観た番外編の14・15・16話が凄くつまらなかったのがなんとも・・・。
番外編が面白くなかった理由として、本編にはあった「雑多な登場人物が、どういう立ち位置で、どう絡み合っていくのか?」という、視聴者の興味を惹く要素が失われていた事が挙げられるでしょう。次に敵役がラッドの弟分で小物感がぬぐえなかったのも挙げられます。もっとも、弟分が兄貴分の存在を食ってしまうわけにもいかないでしょうし、酷な言い方をするならば製作者側もそれを踏まえた上で声優さんを起用していたように見受けられました。
仮に2期が作られたとして、時間や場所がちょこちょこ切り替わる手法を踏襲したとしても、登場人物達の立ち位置を再び不明瞭にする横槍的な要素や、あるいは殆んどを入れ替えるなどしないと、1~13話のような魅力は得られないのではないのか、と番外編を観ていて思った次第でございます。
【クレイモア】B+
これも2007年のアニメらしいですね。感想は2008年3月15日の雑記を参照のこと。
【図書館戦争】A-
発行部数がかなりあるライトノベルをアニメ化した作品。ネット上では「スイーツ向けアニメ」と酷評する向きが強かったのですが、自分にとっては面白いアニメでした。
舞台設定は確かに変で、「メディア良化法」のような思想や表現を統制する動きは現実社会においても発生しうるものではあるのですが、それが図書館を舞台に(ゴム弾を使用してるとはいえ)銃撃戦が発生するに到る設定は無茶が過ぎる気も。現実の日本の現代社会をベースにしているだけに第1話を観ながら、「図書館や本屋に並んだものを差し押さえるよりも、出版前の段階で規制した方が確実ではないか」・「本という形態を尊重する必然性は余り感じられず、思想や表現の自由を守るという信条はともかく、本一冊が人の命を懸けるに値するとは思えない」などなど、心の中でツッコミをいれずにはいられませんでした。
その辺りで拒絶を感じた視聴者も多かったようですが、それを受け入れてしまうと良いところ、即ち作り手の空想力といったものが見えてきます。
例えば、第5話「両親攪乱作戦」で主人公である笠原郁の両親が登場します。その外見の特徴として、父親のほうが母親よりも若干背が低くく設定されています。笠原郁は図書防衛隊に就職するにあたって両親の同意を得られず、彼らに対して嘘をついており軋轢がある事が語られます。物語の序盤において、笠原郁は父親と同じく男性としては背が低い堂上教官に反発しつつも認められたいという態度をとります。これは無意識のうちに堂上教官と父親を重ね合わせており、「認められたい」という心を重ね合わせているのです。そう考えると笠原郁の行動も涙も自然な説得力を持ちます。また、これは一般論に過ぎないのですが、女性は伴侶に父親に似た傾向のある人を選びがちであるといいます。手塚慧に「図書防衛隊を目指すきっかけとなった王子様」=堂上教官と知らされた後で距離が縮まっていくのにも、あながち無関係では無いでしょう。
また、物語の終盤で笠原郁は堂上教官に対して、「私、王子さまから卒業します!」と宣言します。原作は読んだ事が無いので知りませんが、アニメの「図書館戦争」は1クールという少ない話数の為かあくまで笠原郁を中心に描かれています。この会話は二人の関係が一歩前に進んだ事をあらわすものですが、この時の堂上教官の表情によって、彼もまた笠原郁の事を憎からず想っており、恥ずかしい表現をするならば女性の心が解らず恋に怯える1人の男性である事を読み取る事ができるのです。
このように、アニメにありがちな会話のやりとりのみでストーリーを語るのではなく、「絵に意味を持たせる」というクオリティにおいては映画「攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL」と同じくらい良かったと思います。終盤におけるカモミールの扱い方も素晴らしく、初めてOPを観た時に感じた「どうして花畑で空を飛んでるのだろう」という疑問も感嘆に結びつくような出来でした。堂上教官が失認&遂行機能障害になるあたりは物語の構成上、最後に堂上教官が酷い目にあう山場がくるんだろうなと予想出来た上に御都合主義っぽく感じたりもしましたが、大団円への布石としてはこの上ないものでした。
「メディア良化法」をはじめとして図書館隊や良化特務機関などミリタリー色の強い変な舞台設定を受け入れられるか否かと、観る側の読解力で人を選ぶ作品ではありますが、もっと評価されてもいいアニメだと思います。
【二十面相の娘】C
番組が始まった5月ごろは期待も大きく雑記に取り上げたりもしたのですが、結局のところ第6話において二十面相が仲間を見殺しにするに到った理由というのが釈然としないまま最後まで気持ちをひっぱって、後の展開を素直に楽しめませんでした。チコを助ける時には神出鬼没っぷりと不死身っぷりを見せつけるくせにねー・・・。最終回でチコが墓前で死んだ仲間に語りかける場面がありましたが、感動を呼ぶというよりも複雑な視聴者心理がさらに複雑に。
物語を通して作り手がやろうとしている事は解らなくはなかったのですが全体的に抑揚が乏しく、押さえるべき部分がすっぽ抜けたり指先まで力が入ってなかったりで、素材としては非常に面白そうではあるものの色々と勿体無いアニメでした。
例えば、トラの腕・白髪鬼の身体・教授の身体といったギミックにしても派手めに描写するとか、声優さんの演技をオーバーに求めて敵役のキャラクターを強く印象付けるなどしてくれれば良かったのですが、全体的に地味で物語を淡々と進行させることにばかり腐心していたかのように見受けられました。他にも、第6話以降におけるチコよりも死んだ仲間との付き合いが長かったはずのケンの二十面相やチコに対する心理描写も、一つの山場足りえたのに話が膨らむことなくアッサリと処理されちゃったし。
一方で少女探偵団において、特異な経験をし特異な技能を得たチコに対して小糸さんとトメさんは徹底して普通の人として描かれていたり、バランス感覚が光る部分もありました。最終回における、今後の展開を予感させる小林少年との出会いも良い感じでしたがー・・・総合してみるとイマイチなアニメと評価せざるを得ない気が。
【BLASSREITER】C+
ラスト1、2話くらいまでは本当に面白いアニメでございました。暗く救いが無いストーリーも先の展開を期待させてくれるものであったのですが・・・。確かに「俺たちのなかで1人でも生き残ったら俺たちの勝ちだ!」など、ラストを示唆する台詞も途中にあったりもしたのですがー・・・。そのままヒネリも、大した盛り上がりもなく終わってしまうとは思いませんでした。
自分にとって最低の部類に入る「THE ビッグ・オー」の2期の終盤の展開への落胆ほどではありませんでしたし、そのものが斜め上というわけでもありませんでしたが、予定調和的な地味さで限りなく落第点に近い及第点。今まで面白い面白いと観ていた自分って一体・・・と「THE ビッグ・オー」の時に抱いた感情を思い出さずにいられなかったので引き合いに出してみました。
【RD 潜脳調査室】B+
突き抜けた面白さは無いものの、全話を通して一定の面白さを保ち続けたアニメでございました。(「あなたにリアルドライブ!」は正直なところ必要無いと思ったけども。)
最終回を観ると波留さんと久島の関係は友情を通り越してプラトニックなホモ・セクシャルっぽい感じがするし、それより前の話のミナモのお婆さんなどの態度から若い頃に彼らの身近にいた女性は察してる気がしないでもないし、ラストのあれはミナモにとって幸せなのだろうかと思わずにいられなかったけども、良い作品でございました。
【仮面のメイドガイ】D
以前に漫画レビュー系のサイトで原作が褒められていたのを記憶していたので観ていましたが、作画はキレイで動きも良いものの、肝心の話がイマイチ面白くありませんでした。漫画やアニメというと、独特の「お約束」や「ありがちな展開」というものがあると思うのですが、ほとんどがその範疇で観ていて新鮮味が全く無いと言いますか・・・。オタクと呼ばれる人達に同じ設定で話をつくれと御題を出したら高確率で似た話をつくりそうな、そんな印象のアニメでございました。
小学生の頃に観ていたら手放しで賞賛していたような気はします。
【墓場鬼太郎】A
私は小学生の頃に「ゲゲゲの鬼太郎」が流行っていた世代で、当時は講談社から発売されていた復刻版の単行本をはじめとして、古本屋を駆け回って色んな出版社の「ゲゲゲの鬼太郎」を集めていました。(中学生の頃に全部古本屋送りにしてしまったけど。)思い出補正も多分にあるでしょうが、面白うございました。
OPの主題歌である「モノノケダンス」もアニメーションもあわせて最高でございました。
【スカルマン】B+
2007年の作品らしいのですが、今年観たので感想をば。「スカルマンの正体は誰なのか?」・「その目的は?」・「神楽辰男とは?」・「偽のスカルマンの存在」・「スカルマンの中身の交代劇」など、ストーリー展開そのものにエンターテイメントを感じる事が出来た、数少ない作品のひとつでございました。「平成版サイボーグ009」と関連を臭わせる登場人物も心憎く、救いようが無い結末も最高でございました。具体的な死の描写があるのは探偵の爺さんのみなれど、他の生き残った彼らが、生還を待ちわびているはずの外見をしたモノによってもたらされるであろう末路を考えると、もう!
ただ欲を言うならば終盤の数話はスタッフが息切れした感があって描写的に物足りない部分もありましたが(サイボーグ部隊とスカルマン一党との戦いや、テントの中の御子神隼人と間宮霧子の島村ジョーに似た子供が生まれる切っ掛けとなった行為の示唆とか)、もっと評価されてもいいアニメだと思います。
【BACCANO!】B
これも2007年のアニメらしいですね。感想は2008年4月7日の雑記を参照のこと。本編は面白かったものの、後から観た番外編の14・15・16話が凄くつまらなかったのがなんとも・・・。
番外編が面白くなかった理由として、本編にはあった「雑多な登場人物が、どういう立ち位置で、どう絡み合っていくのか?」という、視聴者の興味を惹く要素が失われていた事が挙げられるでしょう。次に敵役がラッドの弟分で小物感がぬぐえなかったのも挙げられます。もっとも、弟分が兄貴分の存在を食ってしまうわけにもいかないでしょうし、酷な言い方をするならば製作者側もそれを踏まえた上で声優さんを起用していたように見受けられました。
仮に2期が作られたとして、時間や場所がちょこちょこ切り替わる手法を踏襲したとしても、登場人物達の立ち位置を再び不明瞭にする横槍的な要素や、あるいは殆んどを入れ替えるなどしないと、1~13話のような魅力は得られないのではないのか、と番外編を観ていて思った次第でございます。
【クレイモア】B+
これも2007年のアニメらしいですね。感想は2008年3月15日の雑記を参照のこと。
この物語に登場する人類は生まれてくる時は全て女性であり、17歳の誕生日を迎えると泉に赴き儀式を受ける事によって男女の性を選択し、大人になるという設定。萩尾望都の漫画に似たような種族が登場する作品があったなー、と思いつつ観ていたのですが、これがかなり面白いアニメでございました。
主人公達シムーン・シヴュラは、性の選択をする前の少女達で構成された巫女の中でも飛行艇シムーンに乗ることが許されるエリートの事。本来はシムーンの描く軌跡で神に捧げる模様を空に描き儀式を執り行うのが役目であるものの、隣接する国々との戦争でシムーンの戦闘能力を頼られ戦場に駆り出されることになったという背景。
ストーリーは、(序盤にそれらしい話は中途半端にあるものの)戦争の凄惨さを訴える事よりも、部隊(コール・テンペスト)内の感情の入り乱れた人間模様を描くことの方に比重が置かれています。彼女達はシムーンによって相当な数の敵国兵士を殺しているはずなのに罪悪感が希薄に見えるのは題目があるからなのでしょうが、そのあたりが妙な感じといえば妙な感じではあります。(和平という名の敗戦の後、母艦に乗り込んできている敵国兵士を見て言及する場面はありますが。)
ただし、それ以外の心理描写は感情移入に足るものでした。ラストの性の選択をし大人になった者たちの、ハッピーエンドばかりではない突き放された現実の中、前向きに進もうとする描写も素晴らしいものでした。さらには永遠の少女を選んだ者達に「大人になる事を選択しなかった事で迎えるつらい未来(夢を追い続けるにしても時間制限がありますよ、という含み)」が示唆されているあたり、製作者の思い描くところのテーマが感じられる良い閉め方でございました。時折崩れている作画と覚え難い名前や用語で損している向きはありますが、個人的にはA評価をあげたいアニメです。
↑フロエ。少女時代と大人になってからのギャップが一番激しく驚くこと間違いなし。最終回では地に足をつけて未来を考えることができる人間になったのに、手元に届いたのは・・・と、主人公達とは別の意味で物語の持つテーマを象徴しているような人。端役と思っていたので最終回は二重の意味でビックリ。