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熊本の妖怪
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山姥【やまうば・やまんば】:熊本県八代郡柿迫村の老人達は、山姥の存在を今でも信じている。山姥は、山から子を抱いて里におりて来て、「ちょっと抱いてくれ」とたのんで姿を消すことがあるという。熊本県上益郡緑川の老人の語るところによれば、山の木に山姥の髪の毛がひっかかっているのを漁師がみつけて持って帰ることがある。三尺くらいのものもある。漁師はそれを大事にして、山の神のところに置きに行く。ある時、ヘクソカヅラに小銭をつないでかけてあったことがあるが、山姥の仕業だろうと皆で話し合った。(丸山学『熊本県民俗辞典』)


むかし、大川内に一人の樵夫が住んどった。ある日奥山に入って材木ば切り倒しておると、突然目の前に山姥か何かわからん異様な女子が出てきて、「お前は、わたしば怒ろしか女子が出て来たち思うとっどが?山姥か川女かどっちだろうかと迷うとるじゃろが。ほら、いま、どげんして逃ぎゅうかち思うとっどが」と、その女ごは樵夫が思うとるこつや考えとるこつばいっちょいっちょ言い当てるので、なお恐ろしゅうなってガタガタ震えとった。
 「はあ、これが山姥とちゅうとばいなぁ」と思いながら、わがでも気づかんうちに木の小枝ば手に取って膝にあて、ポキッと力いっぱいへし折った。とこるが真ん中で二つに折れた切れっ端が、そん女子の向う面にパシッち音んするごて当たった。本人さえ全く思いがけんなかこてなった出来ごつに、この山姥の神通力も通ぜんじゃったっじゃろ、「お前は思わんこつばする男じゃな」と言い捨てて、姿ば消してしもうたちゅう話じゃ。
 “無意識に思いがけんなかこつばする人は怖か“ちゅう戒めで、さすがの山姥も手が出らんじゃったち話たい。(水俣市史「民族・人物編」)
http://www.city.minamata.lg.jp/973.html


阿蘇郡栗木村では、山姥が民家を借りてお産をし、それを親切に世話をしてやったところ、色々といいことがあった、という話が実話として語られている。(丸山学・熊本民俗民族学会『みんぞく』通巻十四号「山の神その他」)
http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/220...


佐敷太郎峠(熊本県葦北郡芦北町大字海浦と熊本県葦北郡芦北町大字花岡を結ぶ国道3号の峠)にも、「村人が間違ってやまんばの家に逃げ込んでしまったとき、やまんばを風呂の中に閉じ込め退治した」という伝説があるそうです。


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↑鳥山石燕『画図百鬼夜行』の「山姥」の大雑把に模写してます。
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雷奇獣【らいきじゅう】:寛政八年(1796)六月一五日の夜大雷のとき、肥後国熊本領竹原というところに落ちてきたという。形は狼のようで、毛の長さは三寸五分(約10.7cm))ぐらい、その色は黒いと記されている。(常光徹・『歴史系総合誌・歴博』149号)

元の絵が真上から見た図なのか、正面から見た図なのかイマイチよくわからない上に、立体的な構造も読み取れないので、それっぽければいいやぐらいに描きました。なんで手足が蟹のハサミみたいになってんだろ。

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馬鹿様の石碑【ばかさまのせきひ】:主留浦浜の馬鹿様を祀ってある石碑に登ると、土の中から刀が出る。馬鹿様は主留の先祖だという。(濱田隆一『民俗学』二巻七号「肥後天草郡一丁目田村採訪録」)
http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/226...

内容から察するに、熊本県天草市河浦町久留主留にいかにも子供が登りたくなるような形状をした石碑があって、落ちたり石碑が倒れたりすると危険だから大人が子供を脅しつけた昔々の言葉が残ったのでしょうね。でも、先祖を祭ってるのに「馬鹿様」て酷いな。祀ってるのに敬ってないし。天草地方の方言に「はかじゅん(墓順)」という言葉があり、「年齢順の座席・上座・上位座席」を意味するそうです。実際は「馬鹿様」じゃなくて、ご先祖様的な意味合いで「墓様」と呼んでたんじゃないのかなー。

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検索では「馬鹿様の石碑」そのものの所在はわかりませんでしたが、熊本県天草市河浦留主留を探してみると、案外それっぽい石碑が残ってるかも。
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祇園池の片目鮒【ぎおんいけのかためふな】:祇園池には片目の魚がいる。これは鮒であるが、なぜ、そのような片目の魚がいるのかわからない。いつか若い者が祇園池の魚をとったら、数ヶ月してから死んだという話がある。また、祇園さんが稲穂で眼をついたので、旧6月15日には田に入らないという伝承もある。(五木村民俗調査団編『五木の民俗』)

同じ祇園池にはクズと呼ばれる大きな亀も住んでおり、この池から約900メートル難れた祇園社(八坂神社)の間を毎年のように行き来している姿が目撃されていたそうです。こっちのクズはそのうちに描く予定。

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ちなみにこの祇園池ですが、工事で川の流れが変わったり大水があったりで現在では水没して無くなっているそうです。
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竹迫城の奥方【たかばじょうのおくがた】:竹迫城(たかばじょう)の殿様の奥方は薩摩の島津さんのお姫様で、それはそれは美人だったそうです。しかし、この奥方は時々城を抜け出してどこかへ行くという噂がありました。ある日、不思議に思った殿様の家来が確かめようと思い、奥方の後をそーっとつけて行きました。奥方は城の下にある蓮池に行き、なんと水浴びをはじめたのです。そしてバシャッと水音がしたかと思うと、奥方の体が蛇となって蓮池の中を泳いでいるではありませんか。家来はびっくり仰天して城に帰り、殿様に報告しました。殿様も非常に驚き、手紙をしたためて離縁の運びとなります。当の奥方は蛇になったことなど全く覚えておらず、泣く泣く薩摩に帰ることになったのです。

殿様が奥方を迎えに来た薩摩の侍と出会い、離縁状を手渡した坂道を「状の坂」または「情の坂」と呼ぶようになり、それが何年かするうちに、訛って「じょん坂」と言うようになったと伝えられています。(上庄魅力化委員会『上庄の歴史と昔話』「第三回・じょん坂の由来」)

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・・・なんだかな。
初めてこの話を聞いたときに、こんなやりとりが目に浮かんだんですよね。

家来:奥方様は城を抜け出して逢引なさっておいででした。蓮池のほとりでどこぞの男と(以下自粛)。
殿様:やっぱりか!離縁じゃ!相手の男のはぶっ殺すとして、城下の者や島津になんと言おうか。そのまんま発表するとワシの面子にかかわる上に角が立ちそうだ。オブラートにくるんだ良い表現は無いものか。
家来:邪淫にふけっていたので・・・とか。これもまんまでございますねー・・・うーん。
殿様:それだ!蛇になったとでもしておこう。蛇身と邪淫の発音は似てるし、島津の家も察しがつくだろう。うん、それでいこう。

で、こんな伝説が残った、と。飛躍しすぎかもしれませんけどね。

竹迫城は別名「蛇の尾城」とも呼ばれたそうなので、そっちから話を膨らませた可能性もあるかも。
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ガメ:ガメというのは熊本県八代市にある八代神社の秋祭り、八代妙見祭に登場する亀蛇(きだ)の御輿の名称です。八代妙見祭は「今から約1300年前に中国から妙見神が亀蛇に乗って八代に上陸した」という故事にもとづいて江戸時代中期に始まったそうです。神様の乗り物なので妖怪と言って良いかどうかは迷うところではありますが、描いちゃったよ!

八代といえば九千坊に率いられた九千匹の河童が中国から泳いできて上陸した土地でもあります。こちらは仁徳天皇時代(313~399年)らしいので、河童の方が妙見神より先にやってきてるんですね。

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海を渡ってきたのだからウミガメがベースと思いきや、御輿にはツメがついたリクガメ(ミズガメ)っぽい手足が付いてる不思議。
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徳利狐【とっくりぎつね】:天草の牛深と茂串のあいだにある峠に出たばけきつねで、とっくりをころころ転がす音をさせたり女の人に化けたりして、通る人を山奥へ迷わせたりしました。この狐のいたずらから、この峠の坂道を「徳利坂」と呼んでいるとのことです。

今回の妖怪はこちらのサイトの記述を参考にしています。
http://www10.plala.or.jp/cotton-candy/mo...

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国見山の大天狗【クニミヤマノオオテング】:『肥後国誌』によると国見山は大きな岩が転がっていて、山頂に上宮権現が鎮座しているが森も祠もなく、大岩そのものが権現様であり、そこには神の使いである大天狗・小天狗が控えているという。

また、角田豊著『鹿央風土記』には、夕刻になると小天狗が人里に餌を求めて飛んできて、いつまでも遊びほうけている子供を攫っていってしまうとある。夜な夜な宴会騒ぎをしていた彼らだが、明治の終わりに国見山が山火事になった際に殆どが死に絶えてしまったそうだ。

今回の妖怪はこちらのサイトの記述を参考にしています。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~k1058/denset...

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江戸時代の末期まで山鹿市鹿央町の国見山は「霜野山、下の山、下野山」と呼ばれていたそうです。熊本には国見山は10あるそうで、マピオンで「国見山 熊本」と入力しても7つでてきます。国見山多すぎィ!
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小豆洗【アズキアライ】:阿蘇郡高森町に村山薬師というところがあり、その下に小川が流れていて、その川のほとりに小豆洗が出ると言って土地の人々は恐れている。(丸山学・熊本民俗民族学会『みんぞく』通巻十四号「山の神その他」)
http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/220...


一般的に「小豆あらい」といえばこの外見!というほど浸透してると思います。(↓)
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それをそのまま描くのもつまらないし、ぬらりひょん打田さん【http://ameblo.jp/nurariuchida/】がyoutubeで「一般的に妖怪は男として描かれる場合が殆ど。~女、~婆といった女性をさす言葉が名前に入ってると女性として描かれるけど、伝承の中で性別が不明なものまで絵描きさんは男として描いてしまう!」と言っておられたので女性として描くことに。

でも、よくよく考えたら小豆婆という妖怪もいるし、下手すると小豆洗の絵ではなく小豆婆の絵になってしまうので、竹原春泉画『絵本百物語』の「小豆あらい」の背景をそのまま模写して女体化バージョンみたいな仕上げにしてみました。本家の手足の指が二本という特徴や、傍らにある柄杓(杖?)も押さえておかないとパロディとして成立しないんじゃないか・・・と、文面を入力してて思ったんだけどどうしようかな。いつもの如く後から修正するかも。(※2013年1月30日に修正して差し替えました)

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熊本県阿蘇郡高森町高森村山という地名は今もあります。川もあります。薬師(堂?)まではわからなかったけど。
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蟹の火【かにのひ】:虚無僧が山間の谷を通っていると青白い火がやってきた。虚無僧は問答の末、蟹だと正体を言い当てて、尺八で打ちすえた。そのため蟹の甲羅にはそのあとが残っている。(濱田隆一『郷土研究』五巻三号「肥後天草島の民譚」)
http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/064...

天草地方で蟹というと渡り蟹(ガザミの別名)が有名だそうです。地元ではガネと呼ばれているとか。この蟹かなー、と思ったのですが話の舞台は山間の谷だし、特にへこみや傷にみえる部分があるような甲羅でもないんですよね・・・。話の元となった蟹の種があるとは思うのですが、それが何なのか判りません。


【2013年1月9日21時20分追記】
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twitterで氷厘亭氷泉さんから「カニの種類はどれだったんでしょうねー。ベンケイガニみたいなカニとかですかねぇ?」というコメントをいただき、調べてみたら目と目と間に棒状の溝があったので渡り蟹よりはそれっぽい!ということで修正して差し替えました。(※虚無僧に打ち据えられる直前を想定しているので、上の絵の蟹にはその溝は入れていません。)

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