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熊本の妖怪
twitterでやっている伝承妖怪お題絵・・・ではありません。番外編。
磯女【イソオンナ】:熊本県天草市での言い伝えでは、船が港に泊まっているとき、夜中に磯女が艫綱を伝って船に忍び込み、船中で眠っている人に髪の毛をかぶせ、その毛で血を吸って死に至らしめるという。そのため船が知らぬ土地で碇泊するときは、艫綱をとらずに錨だけ下ろしておくという風習がある。
外見は、上半身は人間の美女に近いが、下半身は幽霊のようにぼやけている、龍やヘビのようになっている、常人と変わりないなどの説があり、背後から見るとただの岩にしか見えないともいわれる。全身が濡れており、髪は地面に触れるほど長く垂れているともいう。(wikipediaの「磯女」の頁より。)
艫綱(ともづな)とは船尾の方から出して船をつなぎとめる綱。それを登ってくる磯女と、犠牲者に髪の毛をかぶせている場面と、上半身は美人さんらしいのでそのあたりは綺麗に描きたい、その要素を無理やり詰め込んでこんな構図とあいなりました。「艫綱を伝って船に忍び込み」という表現からすると、大きい船を専門に襲いそうなイメージ。下半身は鳥山石燕の濡女を参考にしています。
twitterでやっている伝承妖怪お題絵・・・ではありません。番外編。
磯女【イソオンナ】:熊本県天草市での言い伝えでは、船が港に泊まっているとき、夜中に磯女が艫綱を伝って船に忍び込み、船中で眠っている人に髪の毛をかぶせ、その毛で血を吸って死に至らしめるという。そのため船が知らぬ土地で碇泊するときは、艫綱をとらずに錨だけ下ろしておくという風習がある。
外見は、上半身は人間の美女に近いが、下半身は幽霊のようにぼやけている、龍やヘビのようになっている、常人と変わりないなどの説があり、背後から見るとただの岩にしか見えないともいわれる。全身が濡れており、髪は地面に触れるほど長く垂れているともいう。(wikipediaの「磯女」の頁より。)
艫綱(ともづな)とは船尾の方から出して船をつなぎとめる綱。それを登ってくる磯女と、犠牲者に髪の毛をかぶせている場面と、上半身は美人さんらしいのでそのあたりは綺麗に描きたい、その要素を無理やり詰め込んでこんな構図とあいなりました。「艫綱を伝って船に忍び込み」という表現からすると、大きい船を専門に襲いそうなイメージ。下半身は鳥山石燕の濡女を参考にしています。
熊本の妖怪
アマビエ【アマビエ】:江戸時代に肥後国(熊本県)に現れたと伝えられている。弘化三年(1846年)の4月の中旬頃。毎晩のように海中に光る物体が出現していたため、ある夜に町の役人が海へ赴いたところ、このアマビエが現れていた。その姿は人魚に似ているが、口はくちばし状で、首から下は鱗に覆われていた。役人に対して自らを「海中に住むアマビエである」と名乗り、「この先6年間は豊作が続くが、もし疫病が流行することがあれば、私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行った。この話は当時の瓦版で人々に伝わり、アマビエの姿も瓦版に描かれて人々に伝えられた。(wikipediaの「アマビエ」の頁より。)
今度は割りと瓦版の絵に忠実に。
アマビエ【アマビエ】:江戸時代に肥後国(熊本県)に現れたと伝えられている。弘化三年(1846年)の4月の中旬頃。毎晩のように海中に光る物体が出現していたため、ある夜に町の役人が海へ赴いたところ、このアマビエが現れていた。その姿は人魚に似ているが、口はくちばし状で、首から下は鱗に覆われていた。役人に対して自らを「海中に住むアマビエである」と名乗り、「この先6年間は豊作が続くが、もし疫病が流行することがあれば、私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行った。この話は当時の瓦版で人々に伝わり、アマビエの姿も瓦版に描かれて人々に伝えられた。(wikipediaの「アマビエ」の頁より。)
今度は割りと瓦版の絵に忠実に。
熊本の妖怪
アマビエ【アマビエ】:江戸時代に肥後国(熊本県)に現れたと伝えられている。弘化三年(1846年)の4月の中旬頃。毎晩のように海中に光る物体が出現していたため、ある夜に町の役人が海へ赴いたところ、このアマビエが現れていた。その姿は人魚に似ているが、口はくちばし状で、首から下は鱗に覆われていた。役人に対して自らを「海中に住むアマビエである」と名乗り、「この先6年間は豊作が続くが、もし疫病が流行することがあれば、私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行った。この話は当時の瓦版で人々に伝わり、アマビエの姿も瓦版に描かれて人々に伝えられた。(wikipediaの「アマビエ」の頁より。)
元々の瓦版がこんなだし(↑)、水木しげる先生がほぼまんまのデザインで描いてもおられるので、拡大解釈路線で攻めてみました。実は海は海でも未来の海からやってきた、自己顕示欲の強い問題児の人魚型妖怪、みたいな。で、自分のブロマイドをばら撒いて帰ってったとか・・・。
と、いうことで背後にうつろ舟(タイムマシンという解釈で)を入れてみました。
アマビエ【アマビエ】:江戸時代に肥後国(熊本県)に現れたと伝えられている。弘化三年(1846年)の4月の中旬頃。毎晩のように海中に光る物体が出現していたため、ある夜に町の役人が海へ赴いたところ、このアマビエが現れていた。その姿は人魚に似ているが、口はくちばし状で、首から下は鱗に覆われていた。役人に対して自らを「海中に住むアマビエである」と名乗り、「この先6年間は豊作が続くが、もし疫病が流行することがあれば、私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ」と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行った。この話は当時の瓦版で人々に伝わり、アマビエの姿も瓦版に描かれて人々に伝えられた。(wikipediaの「アマビエ」の頁より。)
元々の瓦版がこんなだし(↑)、水木しげる先生がほぼまんまのデザインで描いてもおられるので、拡大解釈路線で攻めてみました。実は海は海でも未来の海からやってきた、自己顕示欲の強い問題児の人魚型妖怪、みたいな。で、自分のブロマイドをばら撒いて帰ってったとか・・・。
と、いうことで背後にうつろ舟(タイムマシンという解釈で)を入れてみました。
熊本の妖怪
天火【テンカ、テンビ、テンピ】:熊本県天草諸島の民俗資料『天草島民俗誌』には以下のような伝説がある。ある男が鬼池村(現・天草市)へ漁に出かけたが、村人たちによそ者扱いされて虐待され、それがもとで病死した。以来、鬼池には毎晩のように火の玉が飛来するようになり、ある夜に火が藪に燃え移り、村人たちの消火作業の甲斐もなく火が燃え広がり、村の家々は全焼した。村人たちはこれを、あの男の怨霊の仕業といって恐れ、彼を虐待した場所に地蔵尊を建て、毎年冬に霊を弔ったという。(wikipediaの「天火」の頁より。)
熊本県玉名郡南関町で、天上より落ちる怪火。彗星とは違うという。提灯の火くらいで尾を曵かず、屋上に落ちれば火事になるという。(『民俗語彙』)
天火【テンカ、テンビ、テンピ】:熊本県天草諸島の民俗資料『天草島民俗誌』には以下のような伝説がある。ある男が鬼池村(現・天草市)へ漁に出かけたが、村人たちによそ者扱いされて虐待され、それがもとで病死した。以来、鬼池には毎晩のように火の玉が飛来するようになり、ある夜に火が藪に燃え移り、村人たちの消火作業の甲斐もなく火が燃え広がり、村の家々は全焼した。村人たちはこれを、あの男の怨霊の仕業といって恐れ、彼を虐待した場所に地蔵尊を建て、毎年冬に霊を弔ったという。(wikipediaの「天火」の頁より。)
熊本県玉名郡南関町で、天上より落ちる怪火。彗星とは違うという。提灯の火くらいで尾を曵かず、屋上に落ちれば火事になるという。(『民俗語彙』)
熊本の妖怪
シバカキ【シバカキ】:熊本県玉名郡に伝わる。夜に路傍で石を投げるものだという。(柳田國男『妖怪談義』)
シバカキは、熊本県玉名郡南関町に伝わる妖怪。夜、外を歩いているときに路傍から石を投げてくるといわれている。正体について言及した伝承は確認されていないが、単なるほかの人間の悪戯が妖怪と見なされたとの説もある。(wikipediaの「シバカキ」の頁より。)
名前から推測するに、柴の垣根のある家に排他的な人物か一家が住んでいたのではないかと思います。石を投げるのは侵入者を拒む目的があるか、あるいは追い出すという行為でしょう。で、近所の住民が「柴の垣根のある家には何をされるかわからないから近づくな」と戒めていたものが「シバカキには近づくな」→「シバカキがいるから近づくな」と変化したのではないかなぁ。昔は誰もが苗字を持てたわけではないし、鼻つまみ者の渾名が転じたものはないかな、と。まぁ妄想ですけど。
イラストのシバカキは柴の垣根でテリトリーを築きつつ、侵入者は石を投げて攻撃するけど、自分たちのテリトリーに入った品物に関しては自分たちのものだと主張する強欲妖怪夫婦、みたいなイメージで描いています。
シバカキ【シバカキ】:熊本県玉名郡に伝わる。夜に路傍で石を投げるものだという。(柳田國男『妖怪談義』)
シバカキは、熊本県玉名郡南関町に伝わる妖怪。夜、外を歩いているときに路傍から石を投げてくるといわれている。正体について言及した伝承は確認されていないが、単なるほかの人間の悪戯が妖怪と見なされたとの説もある。(wikipediaの「シバカキ」の頁より。)
名前から推測するに、柴の垣根のある家に排他的な人物か一家が住んでいたのではないかと思います。石を投げるのは侵入者を拒む目的があるか、あるいは追い出すという行為でしょう。で、近所の住民が「柴の垣根のある家には何をされるかわからないから近づくな」と戒めていたものが「シバカキには近づくな」→「シバカキがいるから近づくな」と変化したのではないかなぁ。昔は誰もが苗字を持てたわけではないし、鼻つまみ者の渾名が転じたものはないかな、と。まぁ妄想ですけど。
イラストのシバカキは柴の垣根でテリトリーを築きつつ、侵入者は石を投げて攻撃するけど、自分たちのテリトリーに入った品物に関しては自分たちのものだと主張する強欲妖怪夫婦、みたいなイメージで描いています。
熊本の妖怪
白坊主【シロボウズ】:熊本県天草郡本渡町の中央にあるクスノキの中に住み着いている白髪の老婆が白坊主の母親だといい、そのクスノキのそばを夜に通ると、老婆が白坊主の着物のための糸を紡ぐギーギーという音が聞こえたという。この木を切ったところ、真っ赤な血があふれ出したといわれる。(wikipediaの「白坊主」の頁より。)
同じ名称の伝承が各地にあるけど、容姿も内容も異なる白坊主さん。特に熊本のは、「それって白坊主ではなく、白坊主の母親の伝承なんじゃね?白坊主本人は登場しないし!」と、いうことで熊本に伝わる「白坊主の母」の絵です。老婆の口から出ていいるウネウネは『百鬼ノ図』の白坊主を拝借してます。
夢の無い話をするならば、遠い昔にクスノキにのそばにアルビノか色素の薄い子供を持った母親が住んでいたのではなろうかと思います。「この木を切ったところ、真っ赤な血が~」のくだりからは、迷信深い時代であるゆえに気味悪がられた挙句に親子は殺されてしまい、それがこの伝説の元になったのではと推測するのだけど、飛躍しすぎだろうか。
1898年12月21日に町山口村が本渡町に改名。最終的に2006年3月27日に天草市と合体するまでに本渡町の名前で近隣とくっつきまくって時期によって本渡町の指す地域の広さが全然違うんだけど・・・。元となった文献がいつ書かれたのかわからないので、がとりあえず1898年の段階の本渡町の真ん中あたりに赤丸を置いてあります。
白坊主【シロボウズ】:熊本県天草郡本渡町の中央にあるクスノキの中に住み着いている白髪の老婆が白坊主の母親だといい、そのクスノキのそばを夜に通ると、老婆が白坊主の着物のための糸を紡ぐギーギーという音が聞こえたという。この木を切ったところ、真っ赤な血があふれ出したといわれる。(wikipediaの「白坊主」の頁より。)
同じ名称の伝承が各地にあるけど、容姿も内容も異なる白坊主さん。特に熊本のは、「それって白坊主ではなく、白坊主の母親の伝承なんじゃね?白坊主本人は登場しないし!」と、いうことで熊本に伝わる「白坊主の母」の絵です。老婆の口から出ていいるウネウネは『百鬼ノ図』の白坊主を拝借してます。
夢の無い話をするならば、遠い昔にクスノキにのそばにアルビノか色素の薄い子供を持った母親が住んでいたのではなろうかと思います。「この木を切ったところ、真っ赤な血が~」のくだりからは、迷信深い時代であるゆえに気味悪がられた挙句に親子は殺されてしまい、それがこの伝説の元になったのではと推測するのだけど、飛躍しすぎだろうか。
1898年12月21日に町山口村が本渡町に改名。最終的に2006年3月27日に天草市と合体するまでに本渡町の名前で近隣とくっつきまくって時期によって本渡町の指す地域の広さが全然違うんだけど・・・。元となった文献がいつ書かれたのかわからないので、がとりあえず1898年の段階の本渡町の真ん中あたりに赤丸を置いてあります。
熊本の妖怪
twitterで相互フォローしている方が妖怪関係の郷土玩具について調べていらっしゃったので、熊本には「お化けの金太」がいるぞー!と主張しようと思って調べてみました。
熊本城がつくられている頃に「おどけの金太」という有名なひょうきん者がいたそうで、元々はそれの玩具だったのが、いつしか名が変化し「お化けの金太」になったとか。由来を聞くとお化けの玩具と言ってよいのかわからなくなったという・・・。赤い顔してるのに!気持ち悪い目をしてるのに!舌を出すのに!どうりでWikipediaの熊本の妖怪のところにいないはずだよ!築城の際の事故で死んだおどけの金太が化けてでたとか気の利いた事をいっておくれよ!
twitterで相互フォローしている方が妖怪関係の郷土玩具について調べていらっしゃったので、熊本には「お化けの金太」がいるぞー!と主張しようと思って調べてみました。
熊本城がつくられている頃に「おどけの金太」という有名なひょうきん者がいたそうで、元々はそれの玩具だったのが、いつしか名が変化し「お化けの金太」になったとか。由来を聞くとお化けの玩具と言ってよいのかわからなくなったという・・・。赤い顔してるのに!気持ち悪い目をしてるのに!舌を出すのに!どうりでWikipediaの熊本の妖怪のところにいないはずだよ!築城の際の事故で死んだおどけの金太が化けてでたとか気の利いた事をいっておくれよ!
伝承妖怪お題絵:第5回
イデモチ:熊本県球磨郡に伝わる。さかま淵の主で、腹にある吸盤で人を取り殺すという。淵の底に障子が立ててあって、その中にいるともいう。(『綜合日本民俗語彙』)
twitterでやっている伝承妖怪お題絵の5月のお題。「腹にある吸盤~」というくだりをみて、ハゼにはヨシノボリといった腹ビレが吸盤状になった種類がいたなー、と連想してハゼをベースに。次に「腹にある吸盤で人を取り殺す」というくだりで、腹にある吸盤を取り殺す対象に接触させるとなると、相撲取りががっぷり四つになってる姿しか思い浮かばなかったので、このような外見とあいなりました。球磨川には大小さまざまな瀬や淵が100以上あるらしいので、「さかま淵」と呼ばれる場所も残ってるかもしれませんね。きっと遠い昔のさかま淵には普通のハゼよりひとまわり大きい、主と思えちゃうようなのがいたに違いない。
白地図の配布元
http://www2m.biglobe.ne.jp/~ZenTech/japa...
イデモチ:熊本県球磨郡に伝わる。さかま淵の主で、腹にある吸盤で人を取り殺すという。淵の底に障子が立ててあって、その中にいるともいう。(『綜合日本民俗語彙』)
twitterでやっている伝承妖怪お題絵の5月のお題。「腹にある吸盤~」というくだりをみて、ハゼにはヨシノボリといった腹ビレが吸盤状になった種類がいたなー、と連想してハゼをベースに。次に「腹にある吸盤で人を取り殺す」というくだりで、腹にある吸盤を取り殺す対象に接触させるとなると、相撲取りががっぷり四つになってる姿しか思い浮かばなかったので、このような外見とあいなりました。球磨川には大小さまざまな瀬や淵が100以上あるらしいので、「さかま淵」と呼ばれる場所も残ってるかもしれませんね。きっと遠い昔のさかま淵には普通のハゼよりひとまわり大きい、主と思えちゃうようなのがいたに違いない。
白地図の配布元
http://www2m.biglobe.ne.jp/~ZenTech/japa...
twitterでやっている伝承妖怪お題絵・・・ではありません。番外編。
不知火【シラヌイ】:九州有明海、八代海に伝わる。旧暦八月の風の穏やかな新月の夜などに、遠くの海に赤い火が並列して無数に現れるという。龍神が灯す火であると考えられ、これの現れる日は漁を禁じたという。(及川儀右衛門『筑紫野民譚集』など)
不知火というのは蜃気楼の一種で、始めは一つか二つ、「親火(おやび)」と呼ばれる者が出現し、それが左右に分かれて数を増やしていき、最終的には数百から数千もの火が横並びに並ぶそうです。(wikipediaの「不知火」の頁より。)なので忍者漫画の分身の術のような感じに描いてみました。本当はもっと炎を小さく描くべきなのでしょうけど。
普通の炎だと海面に照り返しができるだろうけど、蜃気楼の炎の場合はどうなのでしょうね。また、伝承にある「赤い火」というのは蜃気楼の元となったの船の漁火によるものだろうし、現代だとライトの白っぽい明かりが横に広がっていくのでしょうかね?