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今日の19時~20時に放送されていた「フェアウェイの華となれ~古閑美保 父とつかんだ賞金女王」を観たのですが、正直な所、なんと感想を述べていいのかわからない番組でございました。

その父親は「巨人の星」の熱烈なファンで、娘を将来プロ野球選手に育てるべく小さな頃より身体を鍛えさせていたそうです。が、当時は高校野球やプロ野球は女性に門戸を開放しておらずゴルフに転向。ゴルフ教室に通わせつつも、平行してゴルフについて門外漢であるにも関わらず思いつきの特訓を娘に課すなどしていたそうで・・・。亀田親父や横峯パパよりは人格的に柔らかそうではあるものの根っこの部分は似たり寄ったりなのは疑いようもなく、結果的に古閑美保はジュニア時代に華々しい結果を残し、ついには2008年の賞金女王にまで上り詰めたのだから父親当人にとってはさぞや幸せな人生でしょう。

でも古閑美保としては違う本音、仮に子供の頃は半ば洗脳されていて見えていなくても、年を取り社会に出て見えるようになって感じるに到った心の内が色々ありそうな、むしろそっちを知りたいような気がしました。(亀田三兄弟にはそういった部分は未だになさそうに思うのだけど、古閑美保にはありそうな気がしました。)

それにしても、両親が古閑美保にばかり目がいっていた為に相手にされていなかった妹さんが不憫でなりません。父親が四国四十八箇所巡りを行った際も己と古閑美保についての祈願はしたものの、奥さんともども名前すら出てこなかったし、インタビューでも事あるごとに「美保、美保~」って、2人の娘に対しウェイトが均等ではないのは誰の目にも明らかで・・・。そりゃグレるわ。

最後まで番組を観たわけではなく、残り15分ほどで居た堪れなくなってチャンネルを変えてしまったのですが、上記のような部分を無理やり感動仕立てにせずに視聴者の受け取り様にまかせる淡々としたつくりは最近の民放の番組にしては公平で評価できるものかもしれません。
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私にとって今年は例年になくアニメをよく観ました。本音を言うと創作意欲の糧が欲しくて観てたわけですが、HPの更新頻度を見ての通り、ほとんど結びついてはいないという・・・。まぁ、それはさておき今年観たアニメの感想をば。

【図書館戦争】A-
発行部数がかなりあるライトノベルをアニメ化した作品。ネット上では「スイーツ向けアニメ」と酷評する向きが強かったのですが、自分にとっては面白いアニメでした。

舞台設定は確かに変で、「メディア良化法」のような思想や表現を統制する動きは現実社会においても発生しうるものではあるのですが、それが図書館を舞台に(ゴム弾を使用してるとはいえ)銃撃戦が発生するに到る設定は無茶が過ぎる気も。現実の日本の現代社会をベースにしているだけに第1話を観ながら、「図書館や本屋に並んだものを差し押さえるよりも、出版前の段階で規制した方が確実ではないか」・「本という形態を尊重する必然性は余り感じられず、思想や表現の自由を守るという信条はともかく、本一冊が人の命を懸けるに値するとは思えない」などなど、心の中でツッコミをいれずにはいられませんでした。

その辺りで拒絶を感じた視聴者も多かったようですが、それを受け入れてしまうと良いところ、即ち作り手の空想力といったものが見えてきます。

例えば、第5話「両親攪乱作戦」で主人公である笠原郁の両親が登場します。その外見の特徴として、父親のほうが母親よりも若干背が低くく設定されています。笠原郁は図書防衛隊に就職するにあたって両親の同意を得られず、彼らに対して嘘をついており軋轢がある事が語られます。物語の序盤において、笠原郁は父親と同じく男性としては背が低い堂上教官に反発しつつも認められたいという態度をとります。これは無意識のうちに堂上教官と父親を重ね合わせており、「認められたい」という心を重ね合わせているのです。そう考えると笠原郁の行動も涙も自然な説得力を持ちます。また、これは一般論に過ぎないのですが、女性は伴侶に父親に似た傾向のある人を選びがちであるといいます。手塚慧に「図書防衛隊を目指すきっかけとなった王子様」=堂上教官と知らされた後で距離が縮まっていくのにも、あながち無関係では無いでしょう。

また、物語の終盤で笠原郁は堂上教官に対して、「私、王子さまから卒業します!」と宣言します。原作は読んだ事が無いので知りませんが、アニメの「図書館戦争」は1クールという少ない話数の為かあくまで笠原郁を中心に描かれています。この会話は二人の関係が一歩前に進んだ事をあらわすものですが、この時の堂上教官の表情によって、彼もまた笠原郁の事を憎からず想っており、恥ずかしい表現をするならば女性の心が解らず恋に怯える1人の男性である事を読み取る事ができるのです。

このように、アニメにありがちな会話のやりとりのみでストーリーを語るのではなく、「絵に意味を持たせる」というクオリティにおいては映画「攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL」と同じくらい良かったと思います。終盤におけるカモミールの扱い方も素晴らしく、初めてOPを観た時に感じた「どうして花畑で空を飛んでるのだろう」という疑問も感嘆に結びつくような出来でした。堂上教官が失認&遂行機能障害になるあたりは物語の構成上、最後に堂上教官が酷い目にあう山場がくるんだろうなと予想出来た上に御都合主義っぽく感じたりもしましたが、大団円への布石としてはこの上ないものでした。

「メディア良化法」をはじめとして図書館隊や良化特務機関などミリタリー色の強い変な舞台設定を受け入れられるか否かと、観る側の読解力で人を選ぶ作品ではありますが、もっと評価されてもいいアニメだと思います。


【二十面相の娘】C
番組が始まった5月ごろは期待も大きく雑記に取り上げたりもしたのですが、結局のところ第6話において二十面相が仲間を見殺しにするに到った理由というのが釈然としないまま最後まで気持ちをひっぱって、後の展開を素直に楽しめませんでした。チコを助ける時には神出鬼没っぷりと不死身っぷりを見せつけるくせにねー・・・。最終回でチコが墓前で死んだ仲間に語りかける場面がありましたが、感動を呼ぶというよりも複雑な視聴者心理がさらに複雑に。

物語を通して作り手がやろうとしている事は解らなくはなかったのですが全体的に抑揚が乏しく、押さえるべき部分がすっぽ抜けたり指先まで力が入ってなかったりで、素材としては非常に面白そうではあるものの色々と勿体無いアニメでした。

例えば、トラの腕・白髪鬼の身体・教授の身体といったギミックにしても派手めに描写するとか、声優さんの演技をオーバーに求めて敵役のキャラクターを強く印象付けるなどしてくれれば良かったのですが、全体的に地味で物語を淡々と進行させることにばかり腐心していたかのように見受けられました。他にも、第6話以降におけるチコよりも死んだ仲間との付き合いが長かったはずのケンの二十面相やチコに対する心理描写も、一つの山場足りえたのに話が膨らむことなくアッサリと処理されちゃったし。

一方で少女探偵団において、特異な経験をし特異な技能を得たチコに対して小糸さんとトメさんは徹底して普通の人として描かれていたり、バランス感覚が光る部分もありました。最終回における、今後の展開を予感させる小林少年との出会いも良い感じでしたがー・・・総合してみるとイマイチなアニメと評価せざるを得ない気が。


【BLASSREITER】C+
ラスト1、2話くらいまでは本当に面白いアニメでございました。暗く救いが無いストーリーも先の展開を期待させてくれるものであったのですが・・・。確かに「俺たちのなかで1人でも生き残ったら俺たちの勝ちだ!」など、ラストを示唆する台詞も途中にあったりもしたのですがー・・・。そのままヒネリも、大した盛り上がりもなく終わってしまうとは思いませんでした。

自分にとって最低の部類に入る「THE ビッグ・オー」の2期の終盤の展開への落胆ほどではありませんでしたし、そのものが斜め上というわけでもありませんでしたが、予定調和的な地味さで限りなく落第点に近い及第点。今まで面白い面白いと観ていた自分って一体・・・と「THE ビッグ・オー」の時に抱いた感情を思い出さずにいられなかったので引き合いに出してみました。


【RD 潜脳調査室】B+
突き抜けた面白さは無いものの、全話を通して一定の面白さを保ち続けたアニメでございました。(「あなたにリアルドライブ!」は正直なところ必要無いと思ったけども。)

最終回を観ると波留さんと久島の関係は友情を通り越してプラトニックなホモ・セクシャルっぽい感じがするし、それより前の話のミナモのお婆さんなどの態度から若い頃に彼らの身近にいた女性は察してる気がしないでもないし、ラストのあれはミナモにとって幸せなのだろうかと思わずにいられなかったけども、良い作品でございました。


【仮面のメイドガイ】D
以前に漫画レビュー系のサイトで原作が褒められていたのを記憶していたので観ていましたが、作画はキレイで動きも良いものの、肝心の話がイマイチ面白くありませんでした。漫画やアニメというと、独特の「お約束」や「ありがちな展開」というものがあると思うのですが、ほとんどがその範疇で観ていて新鮮味が全く無いと言いますか・・・。オタクと呼ばれる人達に同じ設定で話をつくれと御題を出したら高確率で似た話をつくりそうな、そんな印象のアニメでございました。

小学生の頃に観ていたら手放しで賞賛していたような気はします。


【墓場鬼太郎】A
私は小学生の頃に「ゲゲゲの鬼太郎」が流行っていた世代で、当時は講談社から発売されていた復刻版の単行本をはじめとして、古本屋を駆け回って色んな出版社の「ゲゲゲの鬼太郎」を集めていました。(中学生の頃に全部古本屋送りにしてしまったけど。)思い出補正も多分にあるでしょうが、面白うございました。

OPの主題歌である「モノノケダンス」もアニメーションもあわせて最高でございました。


【スカルマン】B+
2007年の作品らしいのですが、今年観たので感想をば。「スカルマンの正体は誰なのか?」・「その目的は?」・「神楽辰男とは?」・「偽のスカルマンの存在」・「スカルマンの中身の交代劇」など、ストーリー展開そのものにエンターテイメントを感じる事が出来た、数少ない作品のひとつでございました。「平成版サイボーグ009」と関連を臭わせる登場人物も心憎く、救いようが無い結末も最高でございました。具体的な死の描写があるのは探偵の爺さんのみなれど、他の生き残った彼らが、生還を待ちわびているはずの外見をしたモノによってもたらされるであろう末路を考えると、もう!

ただ欲を言うならば終盤の数話はスタッフが息切れした感があって描写的に物足りない部分もありましたが(サイボーグ部隊とスカルマン一党との戦いや、テントの中の御子神隼人と間宮霧子の島村ジョーに似た子供が生まれる切っ掛けとなった行為の示唆とか)、もっと評価されてもいいアニメだと思います。


【BACCANO!】B
これも2007年のアニメらしいですね。感想は2008年4月7日の雑記を参照のこと。本編は面白かったものの、後から観た番外編の14・15・16話が凄くつまらなかったのがなんとも・・・。

番外編が面白くなかった理由として、本編にはあった「雑多な登場人物が、どういう立ち位置で、どう絡み合っていくのか?」という、視聴者の興味を惹く要素が失われていた事が挙げられるでしょう。次に敵役がラッドの弟分で小物感がぬぐえなかったのも挙げられます。もっとも、弟分が兄貴分の存在を食ってしまうわけにもいかないでしょうし、酷な言い方をするならば製作者側もそれを踏まえた上で声優さんを起用していたように見受けられました。

仮に2期が作られたとして、時間や場所がちょこちょこ切り替わる手法を踏襲したとしても、登場人物達の立ち位置を再び不明瞭にする横槍的な要素や、あるいは殆んどを入れ替えるなどしないと、1~13話のような魅力は得られないのではないのか、と番外編を観ていて思った次第でございます。


【クレイモア】B+
これも2007年のアニメらしいですね。感想は2008年3月15日の雑記を参照のこと。
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「グインサーガ」(栗本薫・著)がアニメ化されて2009年春より放送されるそうですね。

私は14.5歳の時に田中芳樹にはまっていたのですが、発売されていた彼の著作を一通り読み終えた後に手を出したのが栗本薫でした。切っ掛けは古本屋で外伝込みで40冊くらいのセットで売られていた「グインサーガ」を買った事。そこは行き付けの店で、何年もの昔からパックにされた塊が鎮座し続けていたのが気になってしょうがなかったのが理由でした。えらく年季が入った本たちで、一巻目の定価が280円だったかな?とにかくすごく安い値段で驚いた記憶があります。巻を重ねるごとに定価が上がっていて、ハヤカワ文庫の値上がりの歴史が分かるという代物でした。

結局のところ、私にとって栗本薫は田中芳樹ほどの熱を与えてはくれませんでした。「グインサーガ」は序盤は正統派ファンタジーで面白かったのですが、次第に作者が耽美色に走り始めると言うか、展開や文体が回りくどくなると言うか、登場人物の独白が2~3頁も続くのが当たり前になってきたあたりで心が折れました。角川スニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫といったラノベにありがちな行を詰めたら本の厚さが半分で済むようなものではなく、頁に字がきっちり詰まるレベルでそれを繰り返された日には勘弁してくださいとしか言いようがなく・・・。セットでまとめて買ったあと一年くらいの間は古本屋で先の巻を見かける度に買っていたのですが、最新刊に追いつくことなく自分にとっての「グインサーガ」は終わってしまいました。

ゲームなどで時折、グインの影響を受けたと思しきキャラクターを見かけたりするので世の中に与えた影響は間違いなくあったのでしょうが、一方で私と同じく読むことを挫折した人間が多そうな作品でもあります。(ちなみに現在も刊行は続いていて122巻目だそうです。)

私は最近、田中芳樹原作のアニメ「タイタニア」を毎週観ているのですが、こちらは人名や地名を聞くと先の展開を思い出すのに対し、「グインサーガ」はアニメ化されたものを観ても、なんとなくですが思い出さないような気がします。「グインサーガ」以外の著書も高校の図書館に置いてあった分は一通り読んだのですが、ほとんど記憶に残っていません。(いくつかは面白い本もあったように思うのですが。)「グインサーガ」における、読むのを止めるに至るまで続いた「惰性で付き合い続けた」印象が強すぎるからかなぁ。


そういえば、夢枕獏の「黒塚」、京極夏彦の「魍魎の匣」も現在アニメ化され放送されています。少し前までは田中芳樹の「薬師寺涼子の怪奇事件簿」もアニメ化されて放送されていました。アニメの年間制作数が増えジャンルや客層が細分化していった結果、それらの小説家たちが一世を風靡した頃に中学生~高校生だった層をターゲットに制作されるようになったのかな、と思ったりもしましたが、調べてみるとメディアミックス路線で漫画化されたりもしてるようなので、それらも含めて出来うるだけ幅広い年齢層をターゲットに、という戦略なのかもしれませんね。
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ミステリーチャンネルで「時空刑事1973 LIFE ON MARS」の先行放送(第1・2話)を観ました。

おおまかな粗筋はというと、2006年に生きる37歳の警部サム・タイラーが車にはねられた事により1973年にタイムスリップ。何故か衣服も当時のものに変わっていた上に、刑事としての身分もそのまま(警部補に変わっていましたが)で、車や住居もある奇妙な状況。置かれた状況に困惑と苦悩を感じつつも、彼は1973年当時の刑事たちとの捜査方法や人権に対する認識のギャップに立ち向かいながら事件を解決していくという話。一応、先述でタイムスリップという言葉を使いましたが、本当に時間を越えたのかは明確になっておらず、全てが病院の集中治療室で見ている夢である可能性も示唆されています。(SFにありがちな設定だと、事故の影響でサムの魂だけ時間を遡って、1973年に存在した同姓同名の刑事の肉体に憑依しちゃった、というオチではなかろうかと推測してみたり。)今後の展開が楽しみです。

それはさておき、タイトルがいかにもB級なのは狙ってワザとつけたのか気になるところ。
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熊本県立美術館で開催されている「シャガール展~色彩の詩人~」に行ってきました。午前10時過ぎに館内に入ったにも関わらず、今月一杯の公開という事と夏休み期間である事から混雑しておりました。

印象はというと、なかなか良い感じでした。ただ、熊本県立美術館が古い建物である上に照明が若干暗めだったので、展のカタログを見たほうが色の重なりなど細かい部分が判り易い面もありました。

シャガール展といえば1991年に開催された時にも足を運んだのですが、この時は色彩や画風に感心して2時間以上魅入っていた記憶があります。私は絵を見るときに「好き・嫌い」「タッチ等の技法」以外に、「この絵を描いた時に、描き手はどんな事を感じていたのか」想いを巡らせるのが好きだったりします。仮に別の時間に同じモチーフを描いたとしても、その時その時の描き手の心境が色彩や構図に表れて同じようには仕上がりません。

今回の滞在時間は1時間弱でした。照明が暗めで色彩を感じにくかったせいか、あるいは銅版画が多かったせいか、想像力のアンテナが働きませんでした。入場者の歩みが遅かったという事は良い展であったと思うのですが、何故でしょうね。子供の頃と現在の心境の違いのせい?

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<街の上で>1914-18年 トレチャコフ美術 (c)ADAGP,Paris & SPDA,Tokyo 2008
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怖い世の中

pixivの企画に参加しようかなー、と思ってタグを覗いたりしてるのですが、どうも踏ん切りが付きません。と、いうのも一ヶ月ほど前にメッセンジャーで変な詰問を受けまして。

発端は「お絵かきさんねっとわ~く」で知り合ってメッセンジャーに登録しあっていた人(仮にAさんしておきます)が、2chのトレス・パクリスレッドで話題になっている真っ只中の「銀魂」を扱っている同人作家=私と思い込んで非難してきた事。もちろん赤の他人です。うちのサイトで「銀魂」を扱ったこともないし、絵柄や感性の面から見ても同一人物と思い込む事すら普通は有り得ないわけです。話を聞く限りでは共通点はペンネームを構成する漢字が一文字、一致していることのみ。何故これで同一人物と思えるのか、不思議なくらいです。そもそも私は知り合いの同人誌に寄稿した経験はあれど、未だに自分で紙媒体の同人誌を出した事がありません。コミケにも一度も行った事が無いし。

ところが否定しても否定しても、よほど本人認定したいのか「銀魂」について色々と質問してきていらっしゃる。カマをかけてるつもりのようでしたが、こちらは「銀魂」は食堂やラーメン屋に行った時に置いてある週刊少年ジャンプで2.3度流し読みした事がある程度で、主人公が誰で名前を何というのかすら記憶に残ってないような有様なので答えようもありません。と、いうか、こちらが仮に「銀魂」について詳しかったとしても、それがどこぞの同人作家と私が同一人物であるという証拠には全くならないのは正常な頭の持ち主なら分かりそうなものですよね。

時間の浪費としか言いようがない問答が続いた後、Aさんは今度は私がかつて「お絵かきさんねっとわーく」の企画の「エレメンタルワールド」に登録していたキャラクターが、Bさんが同様の企画「水杜学園の人々」で描いたキャラクターをパクったものだと言い出してきました。ちなみに説明しておきますと、「エレメンタルワールド」は参加者が、自分で描き設定したキャラクターを登録して、主催者が出す「お題(ファンタジー世界が舞台の戦争がテーマ)」に沿って絵を描くというもの。「水杜学園の人々」というのは、同じように参加者が架空の学園の生徒を自分で描き設定して登録し、お絵かき掲示板で学園生活を描きあうというもの。

で、そんな事実があるかというと否で、Bさんのキャラクターと私のキャラクターの共通点といえば目が前髪で隠れている事のみ。髪の毛に限っても色も違えば細部も異なります。「目が前髪で隠れているキャラクターなんて、古今東西、漫画やアニメに限らずウェブや同人誌まで星の数ほど描かれているのを理解しているのか?」と私は言いました。そのBさんの描いたものが過去に誰も描いた事のない独創的な特徴だったならばいざ知らず、自意識が歪んだ方向に発達した小学生がアニメや漫画雑誌を観て「私の方が先に考えていたのに!」と言ってるのと同じレベルです。他にも「お絵かきねっと」の企画参加者の名前を出されてアレコレ言われましたが、どれも引き合いすらなく、正気とは思えないものばかり。

これらの会話の中で、私は幾度「あんた、自分で言ってる意味を理解しているのか?頭は大丈夫?」と言ったか分かりません。何より恐ろしいのは、「お絵かきさんねっとわ~く」の企画に参加していたのって2002年の頃なんですよね。つまり、6年以上も歪んだ認識と筋違いの怨念を抱えていらっしゃるわけで・・・。それらを肥大化させていった果てに「パクリスレで話題になっている同人作家の正体は天狛燈火」という妄想に行き着いたようです。

「お絵かきさんねっとわ~く」の企画と言えば女性の参加者が多めで内に陰に篭る傾向があり、電波ゆんゆんの事例として、何を根拠にしたのか分からない参加者の年齢といったプライバシーがまことしやかに語られたりもしました。ついでに述べると、このAさん、過去にも幾度か妙な事をメッセンジャーで言ってきてたんですよね。「天狛燈火50代説」とか、「天狛燈火割れ厨説」とか。その思い込みに至った理由を尋ねると、「仮面ライダーのパロディをお絵かき掲示板に描いてたからリアルタイムで観ていた世代に違いない」とか、「フォトショップ6.0は割れが多いからお前もそうに違いない」とか、どうやら洞察力があるアテクシカッコイイ!と酔いしれていらっしゃるようなんだけど、あんたのは妄想だっつーの。「仮面ライダーのパロディを描いたのは当時、仮面ライダースピリッツ(漫画)にはまってたからだよ。特撮の仮面ライダーがリアルタイムに放送してた頃なんて生まれてすらいないよ。」「パソコンで絵の仕事してるのに割れソフトなんて使ったこと無いよ。」と否定しても「言い訳?」とか「ダウト」という噛み合わない返事が返ってくるという・・・。天狛燈火という人間の事を話題にしてて、その本人が否定しているのに、どうして本人でもないお前がダウト判定なんてできるのかと。このAさんにどこでどんな天狛燈火像をふれて回られるかわからないので、何とか妄想を解こうと言葉を尽くすものの、言葉がまったく通じないんですよね。日本語の言い回しは知らないわ、比喩表現をはさむと比喩とわからないで話が飛んだと思うわ、凄まじい曲解をして話を自分の妄想こそが正しいという方向にもっていこうとするわで、キチガイの思考回路はワケがわからん。何故お前はそこまで頑なに己の妄想を信じ込まねばならんのかと。一度メッセンジャーに突撃してこられると一時間くらい噛み合わない不毛な問答をしなくてはならないんですよね。すげー迷惑。


お蔭様で「銀魂」の主人公の名前は坂田銀時というらしいことは学習させてもらいましたが、どこで頭のネジが抜け落ちた人物に絡まれるのか分からない怖い世の中でございます。
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二十面相の娘_その3

6話「現世の夢」を観ましたよ。
そろそろ来るだろうなと予想していた急転直下。

5話での「友達を裏切る」という行為がチコの人格形成に影響を及ぼすような話の膨らみ方をするのかなー、と期待して放送を待っていた6話ですが、「実はアンジーは・・・でした」という斜め上の展開。あれではチコが胸を痛める必要は感じられません。チコは賢い子なので、盗賊の仕事には常に良心の呵責に苦しまなければならない出来事も共にあると悟った、と展開の意義を解釈する事は可能ですが・・・。

1~5話までベタな描写を丁寧に重ねてきたのは急展開での落差を広げる為でしょうが、アンジー関連の消化不良のおかげでインパクトが弱く勿体無い感じでございました。


今回の話において、二十面相はトラの行動を予見しつつも、「もう1人の二十面相」を選ぶという目的の為に、あえて部下の危機を放置したように見受けられます。二十面相は炎の中に消えたものの、この手のお約束通り死んではいないでしょう。そこで今後の展開を妄想してみるのですが、チコ以外の一団の仲間で明確な死の描写がなされていないケン(あるいは列車から飛び降りた船長)が二十面相に復讐するとか、そんな展開が待っているといいなぁ!
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二十面相の娘_その2

第5話「花形リリィ」を観ました。チコの年齢が12歳から「もうすぐ13歳」へ。

粗筋を書くような感想は極力避けたいのですが、今回の話でチコは「友達になった子を裏切る」という経験をしました。技術を習得する過程を描き終わったら大きく物語が動くかな?と予想していたのですが、想像していたよりもチコの成長を丁寧に描いていくシリーズ構成なのかもしれません。(相変わらずベタ展開だけど)

第1話を観た後に二十面相の人となりに違和感を覚えたので調べてみたところ、江戸川乱歩の二十面相は作品によって性格が異なるので、「複数いる」という説があるのだとか。二十面相シリーズは小学校3年~4年生の頃に子供向けの版で読んだきりですが、二十面相の性格の統一性の無さを不思議に思ったような記憶があります。

このアニメの「二十面相の娘」というタイトルは「二十面相の後継者」という意味合いにも受け取れなくもありません。現在の二十面相が舞台から居なくなった後、江戸川乱歩の二十面相シリーズの小説をベースに、チコが後から現れる偽の二十面相たち(正体はかつての一団の仲間とか)と争うストーリー展開になっていくのかな?と、今後の展開を妄想したりしていたのですが、おもいっきりハズレそう。


こういう楽しみ方をしつつ続きを待つアニメって久しぶりでございますよ。ただ、このアニメも原作が漫画で現在も連載が続いているらしいので、「クレイモア」みたいに伏線を丸投げのまま終わってしまう可能性も無きにしも・・・と、いうか、そうなる確率が高そうなのが不安で不安で不安で不安で。
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今期のアニメで観ているのは

「RD 潜脳調査室」
「図書館戦争」
「二十面相の娘」
「BLASSREITER」

でございます。今のところはどれも及第点はクリアしているものの、可もなく不可もなくといった印象。最近観た中で個人的に高評価な「クレイモア」は第1.2話は退屈で、第3.4話は辛うじて及第点、第5話~第22話は文句無しに面白く、第23話~最終話は原作が終わってないので取り合えず〆に入ったというのを原作を読んでいなくても感じ取れる・・・といったものだったので、これらの作品も4話過ぎくらいから化けるか否か分かってくるのだろうな、と思いつつ。

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©有川浩/アスキー・メディアワークス/図書館戦争製作委員会

中でも「図書館戦争」は舞台設定の奇抜さに興味を惹かれます。原作はラノベらしいでのすが、ぼ~っと観ていてもツッコミどころ満載なのに、今のところ許せている不思議。(スタートレックのようなSFモノに酷い設定や展開があっても、「これはこういうものなのだ」と納得してしまうのに通じるものがある?)

主題が主人公の恋愛のようなので気にせずにいられていますが、思想を全面的に出し、幾多の人間が本一冊の為に銃を撃ち合い命を落とす様を描く事に重点が置かれていたら、きっと拒絶の方が先に立っていたでしょうね。
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今朝の電車に様々な制服を着た中学生と思しき子らと母親らしき人々が幾つかの鞄を抱えて乗っていました。入学式前の学校説明会の日だったのでしょう。教科書や体操着といったものを購入する日でもあります。「行き」なればこそ大したことが無いものの「帰り」の時間帯には大きく膨らんだ鞄で電車の中も酷く窮屈になるんだろうな、と思いつつも後ろに立っていたオバサンの空っぽであろう鞄で背中や腰が押されて鬱陶しかったです。はい。

3月1日には高校の前に卒業式の看板が、その数日後には高校の前に選抜試験(後期)の看板がありました。

この季節になると時間というものを再認識させられますね。

「いつまでもあると思うな若さと時間」