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親のアホさ加減に苦しむ話_その2

選挙カーが煩く走る音が聞こえるようになってきましたね。

あの音を聞くと数年ほど前のある晩、うちの父親が「民主党の勉強会に出る!政治家になる!」と寝言を言い出した時の事を思い出します。この手の寝言は40才頃から言ってはいたのですが、ついに実行に移すと。それを聞いた私は「それ、まさか本気で言ってるんじゃなかろうな。政治家になるのにいくらかかるかわかってんのか。この家のどこにそんな金があるんだよ!」

父親曰く「それはこの資料に書いてある。それに○○先生が後押ししてくれるって言ったから。」

「あのさぁ、誰がどう見ても金だけ取られる典型的な詐欺パターンと違うの?そもそも今まで政治について少しでも考えた事はあるのか!?経済にしろ、何か少しでも知ってるのか?展望があるのかよ!」

父親曰く「それは今から勉強会で学ぶから。」

「お前自分の学習能力知ってるのか。出馬するのは五年後か?十年後か?そもそも、人前で討論ができるのかよ!議会で!テレビの前で!聴衆の前で!できるのか!それに足りうる知識や頭の回転があるのか!少しは頭の中でその光景を想像してみろ!だいたい、地盤はあるのかよ!?誰ががお前の事を知っている!?誰がお前に投票する!?5人か!10人か!100人か!どれだけ票を取れば議席を取れるか理解してるのか!常識的に考えたらキャンプ場の無名の嘱託職員に政治家になれという話はこねーよ!あったとしても、敗戦処理のスケープゴートとして体よく利用されるだけだろうがよ!」


矢つぎはやに罵倒したおかげで父親の「政治家になる」という寝言は阻止できましたが(そもそも選挙資金がゼロ、地盤も無ければ、民主党の正体や無能っぷりも周知になってた時期にどういった計算がおありだったのやら)、その後に父親から頂いた言葉は「俺はお前のせいで政治家になりそこねた。」お前のなかではそんなに簡単になれるものなのかよ、と頭を抱えると同時に、父親は子供にまくしたてられたから諦めただけで、自分が何を言われたのかサッパリ理解なさってないという事に胃がキリキリ。

民主党はといえば政権を取って日が経つ毎にボロを出しまくり、国民から愛想をつかされましたが、テレビで民主党の醜態が流れるごとに私の両親は、「民主党があそこまで酷いとは国民の誰一人とて予想はしていなかった。」と繰り返しつぶやいておりました。民主党が政権を取る前から、アンタらの子供である私は「ただ政権を取る為だけに誰がどう見ても実現不可能なことを吹聴してまわる民主党は危険」って言ってましたけどね。こんな感じで自分の過ちを直視せずに自己弁護で自分が傷つかないように取り繕うから、同じような手口に何回もひっかかるんですよね。

で、前の日記に書いた「自費出版100万部」事件と「牛の一口オーナー」事件に続く、と。

まぁ、雑記を見ればおわかりになるようにウチはお金が無い家だったりするんですが、父方の祖母は土地を持っていて駐車場を経営したりしてるそうなので、そのあたりをアテにされてるんだろうなとは容易に想像はつきます。父親は三男坊なので相続できるのかは知りませんが。

なんというか、それに見合うだけの人生を送ってこなかったのに名誉を求める人間は、腹にイチモツある人間にとっては、さぞチョロい事でしょう。私はそれらの人物に煙たがられてるだろうな。ついでに父親からも逆恨みされ続けてますけども。


「自費出版100万部」事件のあと、父親は熊本の植物や昆虫の写真を取って環境庁の分布などのデータベースに投稿をはじめました。ぶっちゃけ、善意の協力者どまりで彼にとっての目に見える実績にはならないでしょう(ハンドルネームで投稿するサイトだし)が何も残さないよりはマシかな。仮に独力で同じことを成したとして、そういった事をライフワークとしてコツコツと、10年20年と続けてきた人間が晩年になって集大成として自費出版するなら理解できます。それでも100万部は狂気の沙汰だし、自己満足で100冊以下が関の山だろうっていう。

政治家になるにしろ、公共施設の長を目指すにしろ、それには必要とする人生設計と過程というものがあるのです。公務員で出世街道を上り詰めた人が天下るならいざ知らず、それが不可能な人間は若いうちから顔と名前を売って公人として像を作り知名度を上げるしか無いわけです(ド田舎の村レベルや町レベルなら金がたくさんあれば何とかなるだろうけどさ)。野外教育分野が住処の父親を例にあげるなら、野外教育関係や植物や昆虫などでコラムを書いたり、公演したり、顔と名前を前面に打ち出したキャンプなり野外活動体験会を開いたり、観光誘致や環境保護などで地元にお金を落とすようなアイデアをつくって後援してくれる人を見つけ人脈をつくったりと、若いうちからロードマップを作り、実行する事が必要だったわけです。にもかかわらず、前の日記にも書いたけど、彼は「面倒だから」「人間関係が嫌だから」とそれらから逃げ回って一切やってこなかった人間なのです。というか、そういった事が彼が望んだ人生には必要であることに未だに気がついていないと思います。たぶん、この先も理解することは無いでしょう。なにせ二言目には「○○さんがそれで良いと言ったから。」だしな。そして私の母親の座右の銘は「世の中はコネなのよ。」で、政治家のある先生に年に一、二度お呼ばれしては夫婦揃ってお出かけになります。


祖母が脳梗塞で倒れて三ヶ月になります。意識不明のままよく持ってるなとは思います。亡くなった後には父親の動向にも目を光らせていないと再びやらかすだろうな、と思いつつ三ヶ月。こういった事は人目に付く場所に書くべきではないのは重々承知していますが、本名で記すわけではないし、何よりどこかで吐露しないと己の神経がもたないので流し読みして忘れてください。
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伝承妖怪お題絵:第17回
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縄簾【ナワノウレン】:京都に現れたという。雨の降る夜に、ある所を通ると、何かが顔にかかって進むのを妨げてくる。無理に通ると後ろから傘の「ろくろ」の部分を引き止めてくる。これもやり過ごすと何もなくなるという。(高古堂主人『新説百物語』)

twitterでやっている伝承妖怪お題絵の5月のお題。うどん屋や蕎麦屋、居酒屋なんかに縄の暖簾がかかってる店が稀にあったりしますが、普通の布製の暖簾よりもうざったいんですよね。手で一回払っただけではうまく払えなかったりして。この妖怪は傘が風を受けて引っ張られる現象のうざったさを、縄の暖簾のようと形容したのが発祥ではないでしょうか。ろくろの部分を引き止めるとのことですが、傘のろくろはは風で引っ張られた時に力がかかる部分だし。


半透明の縄の暖簾が傘にからみついてる絵にしようかと思って下描きしていたのですが、あまりにまんまだよなと途中で変更してこんな絵になりました。
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熊本の妖怪
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味生池の竜【あじうのいけのりゅう】:池上小学校の北側一帯は「味生池跡」とされる。肥後の国司・道君首名が構築した農業用ため池で、肥後国最初の大規模な利水事業として知られる。池は埋められ今はないが、池上(いけのうえ)の地名が残る。昔、この池には悪竜がすみ、村人を困らせていた。そこで池辺寺の住職が祈祷をしたところ、竜が出てきて「私は村に住んでいた女です。いじめられ、その仕返しに竜となり悪事をしたが、住職の祈りで目が覚めました。この罪滅ぼしに、日照りが続いたら、独鈷と鈴杵で雨乞いをすると降らせます」と言って消えた。その後、大干ばつが続き、朝廷から雨乞いの勅令があり祈祷したところ、30日間雨が降り続いたので、寺は領地を与えられた。それ以来、池辺寺を竜池院という。池辺寺跡は国指定史跡である。
http://www.kumamoto-waterlife.jp/imgkiji...

女性が転じた悪竜という部分をアピールしてみました。悪竜ではなく大蛇としている言い伝えもあるようです。妖怪というより西洋ファンタジーのモンスターっぽくなってしまいましたが気にしない。
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熊本の妖怪
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鎧ヶ淵【よろいがふち】:井芹川は大正のころまで、上熊本駅の裏を流れていた。そこに長さ50m、幅20mの淵があった。天正9年(1581)、隈本城主・城親賢が城外で死去した際、家臣が早駆けでお城に知らせる途中、誤って淵に落ち、鎧を着けていたので馬とともに死んだ。それ以来、命日になると淵の底から馬の蹄の音が聞こえるので「鎧ヶ淵」と呼んだという。
http://www.kumamoto-waterlife.jp/imgkiji...


似たような話しとして、以下のようなものがあります。

半兵衛どんの石【はんべえどんのいし】:半兵衛と犬童一族121人の遺体は人吉の矢黒(人吉城の西)の亀ヶ淵に葬られたが、旧暦の7月7日の夜になると、亀ヶ淵から馬のひずめの音や鎧や、武具の音が聞こえてくるという。かつて亀ヶ淵北の林の中に半兵衛どんの石と呼ばれる石碑があった。昭和40年の人吉水害後の球磨川改修の際に球磨川沿いに移され、のちに人吉市教育委員会によって保存されている。


半兵衛どんの石はどこに保存されているのでしょうねー。形状がわかれば描こうかな、とも思うんだけど。
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熊本の妖怪
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鐘ヶ淵の竜【かねがふちのりゅう】:昔、横手一丁目に長さ約30m、幅10mほどの深さ5、6mの淵があり、青々と水をたたえていた。夫の浮気を苦に、その淵に身投げをした女がいた。その女は竜となり、夫への怨みを晴らそうとする。それを知った女の父親は、「お前が怨むのはわかるが、そういう姿ではお前がかわいそうだ。やめてくれ」と諭した。すると竜は「これからは村人へ恩返しをするので、干ばつの時は鐘をここに沈めてください」と言い、淵の底に消えた。その後、干ばつの時にはこの淵に鐘を沈め、雨乞いするようになった。今はこの淵はない。
http://www.kumamoto-waterlife.jp/imgkiji...


雨乞い行事自体を「鐘巻(かねまき)」と呼び、旱魃の年、横手村手永と田崎村では女面の蛇身が鐘にまといついたつくり物を出して囃したそうです。権道村からは夥しい仮装の山伏を出して横手の鐘ヶ淵まで練り、田崎村の農夫が蛇の止(とど)めを刺す所作をし、鐘とともに淵に沈めると験(ききめ)があり雨が降った、とも伝えられています。(『肥後国誌』)

『肥後村々雨乞行列彩色画』全一七巻(熊本大学五校記念館蔵)や『鐘巻雨乞全略図』(国立歴史民俗博物館蔵)といった絵も残っています。鐘ヶ淵があった場所には観光用の看板があって絵の一部を見ることができます。
http://www.minpaku.ac.jp/museum/showcase...


ついでに述べると、河童たちも鐘ヶ淵に住んでいたそうで、彼らの相撲を見ていた通行人にじゃれ付いて家まで押しかけた挙句、柿渋をかけられて追い返されたという伝説もあるそうです。
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熊本の妖怪
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マヨフ瀧の女【まよふたきのおんな】:加藤清正の次男がマヨフの瀧に行ったとき、女と25人の武士に襲われた。次男はすべてを仕留め、煙草を吸って一服していると、死んだはずの女が袴の裾をくわえて離さないので、小柄を口に差込みこじ開けてみたら、女は歯無しだった。(濱田隆一『郷土研究』六巻三号「肥後天草島の民譚(四)」)
http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/064...

女は武士(野武士?)の一味と言うより、攫われるなりして飯炊き役をさせられていたといった、可哀相な境遇の人だったのではないでしょうか。歯が無いのは野武士に散々殴られた挙句に全て折られてしまったからで、加藤清正の次男が賊を退治してくれて解放されると思ったら、一緒くたに斬られた無念の想いが裾をくわえさせた・・・というイメージで描いています。歯がない者が小柄を差し込まないと開けられないほどの力で袴を咥えていたのだから、さぞかし強い怨念だったのでしょうね。

似たような構図と面積配置が続いたので女の顔のアップで攻めてみました。
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伝承妖怪お題絵:第16回
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オマク:オネキとも。岩手県遠野市に伝わる。生者亡者に関わらず、怨念や愛着恋慕の情が凝結して、形や声をなすという思想。幽霊とは別物とされている。(柳田國男『遠野物語』、佐々木喜善『遠野のザシキワラシとオシラサマ』)

twitterでやっている伝承妖怪お題絵の4月のお題。「幽霊とは別物」とのことなので差異を出したかったけど、結局出せず。難しいお題でした。