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2009年7月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
今更ながら「崖の上のポニョ」を観ました。
映像や色彩、キャラクターデザインのコミカルさは目を見張るものがありました。でもストーリーの方は、高波によって封鎖されている道路を子供を乗せたままの車で強行突破するリサの判断に疑問を感じたり(結果的には町のほとんどは水没して崖の上にあるリサたちの家は沈まなかったので正解だったかもしれませんが)、5歳児の「好き」は「愛してる」と同義語ではないよなー・・・とか、最後のキスはソースケの方からするんじゃないのかYO!など色々と思わずにいられませんでしたが、深く考えたら負けなんだろうな。根は良い人かもしれないけれど疑り深くて口の悪いお婆さん(トキさん)の存在は、そういう風に色々考えてしまう大人への当てつけ的な意味合いがあるのでしょうね。
時間があっという間に過ぎる面白いアニメでした。
余韻は全く残らなかったけど。
映像や色彩、キャラクターデザインのコミカルさは目を見張るものがありました。でもストーリーの方は、高波によって封鎖されている道路を子供を乗せたままの車で強行突破するリサの判断に疑問を感じたり(結果的には町のほとんどは水没して崖の上にあるリサたちの家は沈まなかったので正解だったかもしれませんが)、5歳児の「好き」は「愛してる」と同義語ではないよなー・・・とか、最後のキスはソースケの方からするんじゃないのかYO!など色々と思わずにいられませんでしたが、深く考えたら負けなんだろうな。根は良い人かもしれないけれど疑り深くて口の悪いお婆さん(トキさん)の存在は、そういう風に色々考えてしまう大人への当てつけ的な意味合いがあるのでしょうね。
時間があっという間に過ぎる面白いアニメでした。
余韻は全く残らなかったけど。
2009年6月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
グインサーガ
↑「グインサーガ」よりリンダ。
↑「グインサーガ」よりレムス。それらしいポーズを思案したところ、「僕、もう走れないよ」と言ってる場面しか浮かんでこなかったという噂。
辺境編の主要人物は一通り描いたということで、「独り栗本薫追悼祭り」はおしまいかな(気が向いたらアルド・ナリスやスカールを描く事もあるかも)。pixivを見てても、あまり追悼イラストは投稿されていませんね。自分の15歳の時ですら既刊の数が多くて、古本屋でセットで買うという機会が無ければ「グインサーガ」には手をだしていなかっただろうし、年齢が下るほど触れていないのでしょうね。学校の図書館に置いてあっても、戻ってくる気配の無い貸し出し中や紛失で歯抜け状態のところが多いだろうし。
https://www.pixiv.net/artworks/25746751
↑「グインサーガ」よりリンダ。
↑「グインサーガ」よりレムス。それらしいポーズを思案したところ、「僕、もう走れないよ」と言ってる場面しか浮かんでこなかったという噂。
辺境編の主要人物は一通り描いたということで、「独り栗本薫追悼祭り」はおしまいかな(気が向いたらアルド・ナリスやスカールを描く事もあるかも)。pixivを見てても、あまり追悼イラストは投稿されていませんね。自分の15歳の時ですら既刊の数が多くて、古本屋でセットで買うという機会が無ければ「グインサーガ」には手をだしていなかっただろうし、年齢が下るほど触れていないのでしょうね。学校の図書館に置いてあっても、戻ってくる気配の無い貸し出し中や紛失で歯抜け状態のところが多いだろうし。
https://www.pixiv.net/artworks/25746751
現在、熊本県立美術館で開催されている「栄光のルネサンスから華麗なロココ -西洋美術400年の精華-」に行って来ました。正直に言うと、どうせ大した作品はこないだろうなと期待していなかったのですが、 それなりに良い感じでした。
ジャン=マルク・ナティエ「花の神フローラに扮する女性」
ただ、価値のある(あるいは状態の関係?)と思しき絵画には額縁にガラスが張ってあったのですが、これが照明を反射して見難いの何の。オマケに自分の姿や周囲にいる他の御客さんの姿も映りこんでいて、どうにも鑑賞に集中できないという・・・。あと、照明の関係でしょうか、色の幅が見辛かったのも何とも。正直なところ、展覧会カタログのほうが余程良く見えるというのも何点もありました。ここ熊本県立美術館だけじゃなく熊本市現代美術館もそうだけど、熊本の美術館は照明の配置や明るさといった気配りが昔からイマイチな気がします。
展覧会カタログを買おうかな、と迷いましたが、展示内容に感嘆して買いたいというより、「展示が見辛かったから」というのが動機だったので止めました。すんなり鑑賞に集中できていれば抱いた感想も違っていただろうと思うと、なんか腹が立って。
ジャン=マルク・ナティエ「花の神フローラに扮する女性」
ただ、価値のある(あるいは状態の関係?)と思しき絵画には額縁にガラスが張ってあったのですが、これが照明を反射して見難いの何の。オマケに自分の姿や周囲にいる他の御客さんの姿も映りこんでいて、どうにも鑑賞に集中できないという・・・。あと、照明の関係でしょうか、色の幅が見辛かったのも何とも。正直なところ、展覧会カタログのほうが余程良く見えるというのも何点もありました。ここ熊本県立美術館だけじゃなく熊本市現代美術館もそうだけど、熊本の美術館は照明の配置や明るさといった気配りが昔からイマイチな気がします。
展覧会カタログを買おうかな、と迷いましたが、展示内容に感嘆して買いたいというより、「展示が見辛かったから」というのが動機だったので止めました。すんなり鑑賞に集中できていれば抱いた感想も違っていただろうと思うと、なんか腹が立って。
(以下、ネタばれを含みます)
最終回についてですが、「ウィッチブレイドの装着者は戦いの果てに破滅が待ち受ける」という前提に対し、「貝殻のおまじない」という雅音の生還に期待を持たせる演出があったわけで、それらを踏まえると物語の一番しっくりくる結末の描き方は「雅音が言い伝えの通り死んでしまったのか、あるいは娘・梨穂子(と鷹山)の元に帰還する事ができたのか視聴者側の解釈によっていかようにも取れる」といったものが個人的には正解だったように思います。
実際の最後の場面で雅音が光の中に消えてしまった後、貝殻の片割れのみ梨穂子の手の中に戻るのは最終決戦の前の雅音が梨穂子に言った「消えてしまっても私は傍にいる」という台詞を踏まえてのものでしょうが、あまりにも物語の途中で語られた「約束された結末」そのままなんですよねー・・・。
あるいは「約束された結末」にヒネリもなく突き進むならば、大量に押し寄せるアイウェポンや、まりあ達・第二世代ネオジーンに、これでもかというくらいにフルボッコにされるといった悲愴感を前面に打ち出す為の演出が欲しかったな。そうするには尺が足りなかったのでしょうけど、既に雅音の身体はボロボロで梨穂子の料理の味すらわからなくなっていたという良い感じの演出が最終決戦の前にあっただけに勿体無いように思いました。
この「ウィッチブレイド」は「BLASSREITER」の時と同じで、最終回の1話前くらいまでは賞賛できる出来だったわけでございます。(正確には「BLASSREITER」は終盤のヒロシマがどうのと言い出したあたりから既に雲行きが怪しくなってはいたけども。)いや、どちらも最終回が赤点の出来だったわけではないのですが、もう少しなんとかなっていたら作品全体の評価も大きく変わっていたのではなかろうかという歯がゆさがなんとも。
これは製作会社が同じだからでしょうか。wikiで作品リストを見てみたところ、私はゴンゾのアニメは「戦闘妖精雪風(このアニメも予定調和的な結末だったような気が)」と「BLASSREITER」、「ウィッチブレイド」しか観た事が無いようなので断言はできませんが、これが噂のゴンゾの病というやつなのかなー・・・。